重力

 オナニーとして文章を書く。なかなか現状を打開できない。答えが見当たらない。何やったっていつも悩んでいる。割とすぐ人間関係をリセットする奴は、その人間関係に得がなくて、自分がむかついたり疎ましかったりするばかりの損なものでしかないか、その理性に勝る感情により横槍を入れられているか、というところだろう。自分に理性と得があれば、リセット一択なんてわけはないし、得のある人間関係ばかりを構築できていることを、誇ってもいい。が、それが得と損を併せ持つ場合は非常に難しいものだ。単なる数学であれば、プラスだったら得、マイナスだったら損、と定義して、+4+(−3)=+1のように、値を足せば、総合的な判断を下すことは容易だ。プラスだから、得ですね。しかし実際には、まず値を見定めることから始まる。+4っぽい+(−3っぽい)=+1っぽい。たぶん得じゃなかろうか。と判断する。でも実は−3っぽいと思ってたものが−5っぽいと判明すれば、たちまち−1っぽいとなり、損に転じる。ぽいぽいぽい。そしてその両方の値が非常に近いものであると、正負を誤る。数学になぞらえて書いたが、この種の問題は、実際には、a+b=cを求めるのではなく、a+b≧0の真偽を求めるのだろう。人間、水槽に石が1092個入っているのか1093個入っているのかを見定めることは容易ではないが、100個と1000個なら分かるだろう。それぐらいスケールに差がないと難しい。
 俺は案外に根が真面目なのだなと思った。特に、筋を通すことが重要なようだ。他人にもそれを求めるし、自分にもなかなか求めるようだ。厄介なところだ。おそらく一番よいのは、他人にも自分にも求めないことだろう。それを徹底できるのがサイコパスだと思っている。サイコパスはとてもよさそうだ。しかし単なるサイコパスは、他人の感情、特にこの、筋が通っているかについての共感が欠落しているので、他人から不評を買いやすい。そして結果的に損をさせられる。普通、自分の行動や言動を相手がどう思うのかを予想するには、自分がされたらどう思うかを問い合わせて答えを得る。自分の中に存在する感情回路が、おおむね他の人と同じようにできていることを知っているからだ。しかしサイコパスは、問い合わせ先がまともな答えを返さない。だからサイコパスになるなら、こうしたらどうやら人は怒るようだ。とか、こういうのは喜ばれるようだ。などを経験や分析などから記憶し、感情を模せなければいけない。それができる頭があるなら、感情問い合わせ先を持っているよりもサイコパスが優越すると思う。感情を問い合わせることは、しばしばしんどいからだ。これは人間の遺伝子に組み込まれた重力のようなものだ。全員が持ち合わせていなければ人間にとって損だが、みんなが持ち合わせている中で、一人だけ、あるいは少人数だけ持っていなければ、そいつらのみ得である。税金を誰も払わなくなったら困るが、俺だけが払わなくてよいなら、超得である。感情がなくて、困らないのであれば、免税のようなものだ。しかし、サイコパスというのはかなり先天的なもので、後天的に獲得できるようなものではないと思う。仮にできるとしても、サイコパス獲得したい!と思えるぐらい物心ついた頃には、もう獲得できないぐらい人格形成が進んでいるだろう。それぐらいの重力がなければ、もっとサイコパスの人は多くて、人間は困っているだろう。ああサイコパスになりたい。感情に振り回されず、自分の都合のいいように他人をコントロールすることだけに心血を注げる。部分的サイコパスでもいい。擬似的なサイコパスにはなれる。サイコパスのように振る舞うことはできる。しかし感情があるのにそんなことをすると、重力によって壁に叩きつけられたりする。重力が邪魔だ。でも重力はあるからしょうがない。