なよなよ

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

 西尾維新の「きみとぼくの壊れた世界」を読んでいる。まだ読み終わってもいないものについてあたかも読み終わったかのように語るのは俺の悪い癖だが、知ったことではない。圧倒的に読みやすいな、この本は。気づいたらページ数がかなり進んでいる。それと、これは特別にこの本を読んでいて思ったのではないが、俺はきっとものすごくデリカシーがないのだな。素晴らしいmu君に「西尾維新の本は禁書にしろ」とまで言わせているが、ないな、俺にそういう素養は。小林も相当入れ込んでいるが、お前らは変態だ。死ね!! 何がそこまで君らの感情を動かすのか、機会があれば改めて聞いてみたいが、どうせ繊細さが起因してるんじゃないの? 西尾維新はどう上手く君らに揺さぶりをかけたね? MOTHER2ではIQの高いキャラクターほどブレインショックに弱いんだよね。「誰だって若い内は現実主義の現実感に現実を感じられない現実主義者だからな。荒唐無稽ってのが大好きなんだろうさ。だから虚構にしか現実を感じられないんだろ。」(p18,下段)と言われた時には少しドキッとしたが、そんなのはちょっと図星を突かれて驚いたという程度のことよ。やけに攻撃的に言っているのはやっぱりそういう感受性を持つ方々にいささか攻撃的な感情があるからで、幼少からの体験だか生まれ持った性分だか知らないけど、今時分、拗くれあがった精神構造が出来上がっちゃってるから、シンジ君を称揚したり(誉めるだけが称揚じゃなくて、熱がこもった分析や解釈を試みることや、その書かれたものを愛でることも含んでるよ)、村上春樹とか西尾維新とか言ってるんじゃねーのって思っちゃうんですわな。とりわけこの手の特定の作品に対する批評は「こういうの分かっちゃうな」という威張りがどうしてもバックに見えますね。ちょっと垢ぬけた先輩と一緒に居て、いきなり、普段とらないような態度で接してくる中学のクラスメートみたいな感じがするんだよ。「この手の」と言ったが何が「この手の」なのかは、ちょっと言語化しづらいから書かないが分かるかな? 自分の中での葛藤が主となるクローズドな空間を描いたものって言ったら正しいのかな。セカイ系のことなのかな。違うかもしれんがそういうのだよ多分。理解できないんじゃないんだけど、好きじゃないんだよ。いや、好きかもしれないけど、そこに素直に浸かることに抵抗があるんだよね。デリカシーがないというのは、別に悪いことじゃないから自称しようとしてるんだけどね。こうね、それぞれの人生が始まって、みんな変なものに惑わされないで理性をもって突き進んでいくマラソンが始まるわけですが、超アホなやつは序盤で宗教トラップにハマって消えていきますよね、んでたくさんの平均が常識とか倫理トラップにハマって拘束されていますよね、その他、愛とかそういうトラップにハマって消えていく人が居て、残ったのは数少ないキレ者だと思ってたんですけど、そういう人のいくらかが今度はエヴァンゲリオンとか西尾維新トラップにハマって脱落している・・・というイメージなんですよね。おいおいせっかく一緒に走ってたのに・・・惑わされんなよ! って思うんですが、俺に死ね!!と思う人やそうでない人はコメント下さい。