地震、価値観

 れびんはまた地震に遭遇してしまった。阪神大震災からもう何年が経っただろう。地震に縁があって困る。この記事、予言者すぎるよ。とりあえず無事です。ゴミの山が崩れてきましたけど特に問題はないです。地獄でやるように積み上げるのだ。って書いてる今まさにここ、ここで余震が起きましたよ。いい加減にしろプレート! 俺の住んでるアパートは崖っぷちにあるのですよ。落ちたら死んじゃうッ! なんかほんと生き死にの話題多いですね。我々が思っているほど世界は死に対して寛容になっていないぞ! そりゃそうですよね。アキバの事件で御両親が謝罪会見を開かされていましたね。親を出すのは前からだけど流行ってるなあ。そんなこと言い出したら我々もアダムとイヴの子孫という繋がりがあるわけだが血は水よりも濃いのだろうか? 自分たちはこいつらとは違うという誤った認識が象徴され過ぎている。京極堂も言っていたが、こういうのは誰にでも訪れる可能性ですよ! ショートショートか何かで、食事をしているところを見られることが、我々でいう性交を見られるに等しいという価値観を持つ宇宙人の話がありましたよね。それらはそれぞれ何かの系譜があって生まれたのだろうけど今にして翻ってみれば「そういうことになっている」に過ぎないわけですよ。Aという行為とBという行為に対する評価は既定で、それに沿って今、価値観が漫然と存在していて、我々は生活している。Aがものすごく貶められていて、Bが誉めたたえられており、A属性を持って生まれた人とB属性を持って生まれた人、あるいは成長の中でAに積極的に育まれた人、Bに積極的に育まれた人が居て、それらをあーだこーだ言ってるというに過ぎないというのは真理に一片として含まれているはずである。金曜日と土曜日の同じ10時18分、昨日と同じような天気だけど、既定されているから全然意味が違うでしょ? そういうことですわな。じゃあ何かい、殺人するようなやつはランダムで選ばれた人がどうせやるからほっとけっていうのかい、という意味ではなくて、そこを分析し迫ろうとするのはそういう使命を受けた人が専門的にやることであって、やっぱり大衆のやることではないのだよ! という話ですね。