講義での反応、会話レベルスイッチ

 誰かが講師から当てられたとする。語学の授業なんかでさ。「ですからこの英文はいかにタマネギが第二次世界大戦における兵糧の中核であったかについて説いていることになるわけですが、どうですか。タマネギを扱った論文を何か一つでも知っていますか」などとたまに講師に振られるでしょう。その時のリアクションなんですけどね、どうもうちの大学では、隣に座ってる友人か誰かに「えぇ〜っww」って感じでとりあえず笑っといてアハハウフフみたいな反射をするやつが大半なんですよ。男女を問わず。女がほとんどのような気がしますけどね。「そんなの訊かれても困るよね〜wwwww ○○ちゃん知ってる?w わかんないよね〜wwwwwww」みたいな。その間、講師は完全にシカトされているわけですよ。これって、すごいよね。どこの大学でもある現象なのかなあ。うちが特別に終わっているってことなんだろうか。なかなか度胸がないとできませんよ、こんなこと。だって講師はその質問の答え自体を求めているわけではないんですからね。「君は答えられるか」という意味での質問なんですよ。おおげさに言えば、知の領域に君はどこまで足を踏み入れられているか? という問いかけ、あるいはリサーチでもあるわけですよ。それを、隣の友人だか何だか知らんけど、開けっぴろげに相談なんかしちゃって、しかもアハハウフフわかんないよね〜って態度をとって結果的に何も答えないまま講師放置とか、俺の感覚からすれば背筋フリーズに近い事件なのですよ。しかもそれが「当てられた時の標準のリアクション」として認知されてきているらしいのがすごいです。いやー怖い。怖いっすね。
 あとうちだと「おつかれさまでーす」が基本の挨拶になってるんですよ。これもものすごくネガティブだよなあ。他の大学の人にいくらか訊いてみたけど、そんな風潮はないと言っていました。
 あとね、会話において「スイッチ」というのは本当にあるね。色んな人と目まぐるしく入れ替わり立ち替わり会話を持つことが多いのだが、高次のレベルの人々と会話した後、低い人々と同じ感覚で話をすると「は?」みたいなことを言われて、挙句には低い共通感覚で排斥されようとしたりするのね。あるいは高次な笑いとか。あらゆる発言は全て冗談である、ということを了解できている人と話をした後に、普通の人々と話すと、ついひどいことを言ってしまうとか。「ひどいこと」がひどいことではないんだけどね、前者の空間では。いやこれはもちろん空気読んで彼らに合わせるべきだったんだけど、たまにそういう段差を忘れて話をしてしまうことがある。分析とか論理とか、およそ知的領域から遠い人の前で文化論の話をしても何のリアクションもないし、あらゆる言葉が自由であった空間から出てきたらもう「お前は頭悪いからなあ」などと口走ってはいけない。その場に適切な水準の発言を提供する必要がある。そのスイッチの切り替えを常に意識しておかないといけないな。