「信じる」は強い

 今日、昼間に食堂で飯を食ってる時に何かの概念について思考していたはずなのだがその内容を忘れた。たぶん何か中心的なものがあって、それとの距離を縮めず遠くにあるものは誰からも見向きもされなくて、どうでもいいものだと考えられるのだというようなことだったはずだが、ここまで仕組みは思い出せていながら、そのベクトルにどんなものが乗っかっていたのかが出てこないというのはどういうことだ。思い出せないってことはどうでもいいことだったんだろうね。話の種になるかもしれないと思ったんだけど、仕方ないね。
 信じる心というのは大切であるのかもしれない。いきなりものすごく怪しく、臭いことを発言してみたが、信じたり、当たり前になったりしたものというのは、それが何であれ、強い。例えば「正しさ」についての強い信仰が我々の心には強くあって、偽装がなぜダメで許されざるべきことなのかというと、それが「嘘」であって「正し」くないからだよな。この食品に遺伝子組換え品は使用していません、といっても実はちょっとだけ使っていてもその表記はできる。しかし実際にその混合物を食ってみてどうにかなったような人は聞かない。まあ、たかじん委員会の受け売りだけど、別にどうってことはないのに、それが嘘だったということで糾弾はされる。しかし現実を知ったらみんなはたぶん不幸になるだろうよ。「えーと昨日、オーストラリアの悠久パプステマ容疑者(23)が近所に住む女性を拉致監禁した挙句、内臓を全て抜き取って物干し竿に吊るしチンポをバキバキに勃起させながらそれらを一つ一つ五秒ごとに甘噛みしながら小躍りをしていることが発覚して逮捕されようとしていましたが、パプステマちゃんは巧みに逃げ回り警察官十五人を殺しまわった末に射殺されました。自宅の机の引き出しから手紙が見つかって、一連の犯罪行為の中で自分は最高に幸せだった、私以外の全員は地獄に落ちればいいよ、アイルゴートゥーヘヴン^^と書かれていました」という真実がニュースで流れたらみんな幸せですか? お前の話じゃないよ、世界の、いや別に世界じゃなくていいわ、日本に住む多くの人が、心持ちいかがになりますかって。そういうしょうもない、でもどこかでこんな感じのことは起こってるわけで、そんでもってそんな感じのことは大体誰かが観測しているわけだが、みなさんの元にはそうそう明確な形でお届けされない。よかったがな。だから偽装したっていいだろ、別にお前ら分からんかったらオイシーオイシー言うてそれら食うとるがな、というのはね、当然我々の信仰からしたら通るようなもんじゃないんだけどよ、合理的ですよ。人々の主観的な裕福さを水増ししてあげてるんだしね。いや、ダメですよ? じゃあ嘘ついていいですよってことにしたら「違法じゃないしw」とかいって腐ったもんとか毒入りを新鮮だといって売るアホが居ますからね。それをキチッとしていくと、別に大丈夫なもんでも線引きに引っ掛かってしまうわけで、危険なものが大丈夫として通るか、大丈夫なものが危険として廃棄されるか、という選択の結果、リスクの回避を取ればそうなるのはしょうがないんだけどよ。偽装による幸せの水増しが成り立たせていることを分かった上で言われてないから、不十分なんだ。俺とか君らみたいに、ちゃんと分かってる人なら、正しい表記にしてくれた方がいいですよ? 入っているものを仔細に表記していただいた方が都合がよろしい。でも商売してる相手は大衆なんだから、分かってる人の視点で考えたってしょうがないんだよ。そういう人を律するには不合理で不安定な、不条理なやり方がいいんだと思うよホントは。だって物事をよく分かってないんですから。ここでいう分かってるとか分かってないとかいうのは頭の中のOSの話でね、知識とかそういう次元の話じゃないんよ念のため。そんで、信じるものがどうとか頭で言ったのは、韓国との竹島問題に触れて思ったことなんだけどね。まあこの際、きっかけは無視して、韓国じゃなくてどこかの架空の民族が、我々から見て、嘘ばっかりつくようなやつらだとしましょう。皮肉でも何でもなくて、そういうのが居たとしてだね、その人たちは何か目的を成すために嘘をつくことを恐れないとしましょう。それが自分たちの利益を確保するための一つの手段であると当たり前に思っていれば、その行動には淀みがないし、自然に嘘をつくという手段を行なう。それは当然、絶対的におかしいことではなくて、嘘が手段なんだから、それはそれで一つのしっかりした行動原理なのであるのだよね。「正しさ」信仰にある我々からしたらそれはとんでもない蛮行であり低いことでありバカ野郎!と思うものだが、その民族からしたら自分ら以外のことはどうでもよくて、嘘でも何でもいいから自分らに有利になるようならそれがよいことなのであるから、何の破綻もない。嘘が突き通せなくなって「ああ」とか「うう」とか、あるいは滅茶苦茶なことを言い始めたって、それは単なる「失敗」に過ぎない。愚行だったといっても、それは「うまい嘘をつけなかった」という意味での愚行なのであって、「嘘なんかついてしまった」という我々の価値観での愚行ではない。韓国がそんな考え方をしているのかということについては俺は語りえないのであえて架空の民族がそうだったらという話にした。こういう風に、何か強く信じているとか、当たり前になっているものというのは、その考え方が存続しているという事実によって強さを示しているとも思うし、その他、経済力とかそういう点で優劣はつくのかもしれないけど、その共同体の中ではれっきとした強い力として存在しているし淀みがないよねという考えだ。