凡人としての生活、人間関係

 今日は本の紹介で更新を終わらせようと思っていたが、何となくどうでもいいことを書きたくなったので書く。どうでもいいことを書くことは素晴らしいことである。例えばお前らは時間を消費したがる。いつの間にか時間が消費されていたという状態が望ましい生活環境というか生活スタイル、人生観、そうではなくてもそういう時間、気分の時はあると思う。そんな時には、このバカは何を言っているんだろうと思ってこのブログを開いて、文字の羅列を読み解いてみるのもいいと思う。少なくともその辺のブログよりは何か具体的なものを頭に思い描いて、それについてなかなか忠実に、写実的に文章が書かれているというぐらいの自信はある。あるが、内容がどうしても外枠の話ばかりになってしまうというか、具体的な何かについて語るのではなく、語ることとは何なのか、みたいな話ばかりになってしまうのである。それはそれでいいんだけど、もうちょっと使い分けたらいいのにね。例えば今、首相が辞任とか麻生さんとかいろいろホットな話題はあるわけですけど、そういう話題に興味がないと言った方がいいのだろうか。みなさんはいちいち個別の問題について「こうした方がいい」とか「クソが」みたいなことを思って忸怩たる思いを抱えたりしますか? もう俺はそういうのあんまないですよね。所詮は自分が関係ない次元というか世界の話だからどうでもいいや、っていうわけでもないですよね。原油が上がったらこっちが割を食うだろうし、事故米が流通したら困るのは消費者たる我々なんです。でも、我々のような末端の消費者が、為政者とかの行動で割を食うのは、今に始まったことじゃないですよね。評論家みたいに「こうすべき」とか「こういうことだよね」みたいなことを言って積極的にでも消極的にでも、直接的にでも間接的にでも、問題を解明しようとしたり、より正しそうな解答らしきものを模索したところで、何にもならんわけですよ。その辺を、もう俺らは気付き始めたよね遅ればせながら。俺らみたいなもんでも。だからもうそういう大きな問題や小さな問題から遠く離れてってわけじゃないけど距離を置いて、小さな砂場みたいなもんをこうやってネット上に作ってですね、適当なことを喋りながらアハハウフフ言ってたらいいんちゃいますかって思考の流れにもなろうってもんですよね。朝起きてバイトに行って帰って来て、メッセで喋ってゲームして、ブログでも更新して寝たらええと思うんです。休みの日は適当な友人と飯食いに行って遊んで帰って来て本でも読みながら寝落ちしたらええんです。もうそれでいいよな。誰が、成り上がらなければならないなんてことを決めましたか。いやー、この発言はおかしいよな。まるで向上心がないことに対する言い訳みたいじゃん。そうじゃないんですよね。インスタントな娯楽に身を任せて、ダラダラ、許された範囲での好きなことをするぐらいが妥当なんじゃないのかってことですよ。だって、俺もそうやけど、大抵の人は才能ないからね。そんなにたくさんの人に才能があったら、それは才能じゃない。つーか、才能っていうのは後付けのものであって、成功したら才能があったってことになるんですからね。ゴルフしてる人はみんなプロゴルファー目指してるわけじゃないし。そういうことですよね。結局、何が言いたいんだろう。何も言いたくないんかな。つまりそれなりの娯楽を享受して満足しといた方がいいよねってことですな。鬱々としてきたぞ。いまどき政治犯として二年ほど投獄されたいな。女になってレイプされてもみたい。刺激を欲している23歳ってことですかねえ。
 あとそうですね、男女の性差ってすごいと思うよね。最近、特にこの問題について深く考えているというか深く考えてるわけじゃないけど、よくある破滅的な風に男女関係や男男関係や女女関係が錯綜したり、プライドが衝突したり、変なノリが蔓延してコミュニケーションに特殊なルールが敷かれた共同体になったり、内ゲバが起こったりする大学のサークルみたいなものが、俺の身近に発生したということが起因するんですけど、やっぱり身近になると考えざるをえないというか、興味がないから考えないよという立場では済まなくなってそれなりに自分のポジションとか対策を練る必要に迫られるものなんですよね。人間が群れるとロクなことにならんし、楽しいこともあるんだけど、それが男ばっかりだったら、男である俺はまだ分かりやすいと思うんだけど、女が入ってくるともうカオスの極みです。特に俺なんかは男とばっかり付き合ってきたわけでしょ、性的な意味ではなく。いや、でもテーマは性的な話に終始するんですよ、こういう論考は。とにかく面倒くさいっていうか、不可解というか、ああ、最近よく使うフレーズなんですけど「理解はできるが共感はできない」ってやつです。大体パッパラパーが考えることは想像がつくし底が知れてるものなんですけど、つーか俺のこういう思考がcomplicatedらしくて、何で英語使ったん、お互いに出しっこしたらいいはずの考え方とかを、必要以上に隠したがるんですよね、みなさん。ある程度は自分の内臓を晒してくれんと、有益なコミュニケーションを築きにくいと思わんのかねえ? 自分についての取扱説明書みたいなさ、「俺はこういう時、こうリアクションするから」とかあらかじめ言っておけば、変な邪推もないし、気をつかう機会も減っていいじゃないですか。あんま好きじゃないやつには「お前のこと、あんま好きじゃないんよね」と言っていい土壌みたいなんは、できませんかね。言われたらやっぱ傷つくかなあ。理想主義すぎるかな? その方がよくないか? あの人に嫌われてるんじゃないだろうか・・・みたいなことを探り合うのは、わずらわしいじゃないすか。そういう制度的なものを規定して楽しようとは、みんななかなかしませんか。それ以前に、やっぱ傷つきますか、嫌いと表明されたりすると。とか言いながら俺も全てを正直に言ってるわけじゃないですけどね、鬱陶しいなと思いながらも付き合ってるやつ居ますし。ってこんなことを表明したら、また疑心暗鬼になられるか。核と同じやな。核もみんなで一斉にやめましょうっつって太平洋にでもポーイと捨てたら(それは廃棄方法が問題だが)、いいんですけど、そうはいかんし、一旦は捨ててもまた誰かが持つからね。だから俺も今はそういう表明は、機を見て、言えそうなら言いますけど、基本的には自分の中でランク分けして片付けるだけで直接言ったりはしないですが。なんか自分がそういう上辺の争いの根源のような気がしてきますね、こんなこと言って。まあ・・・俺もまだまとまってないんですけどね、最近ようやく本腰を入れて考え始めた問題なので。いかに今まで、人付き合いを断ったり、容易な人材ばかりを選んでコミュニケートしてきたかってことの証明にもなりそうですが。うーん、二段落目で扱った内容はちょっと自分の中でも成熟してないです。俺の考え方をそのまま文章化したというわけではないです。