またその話か

 明日はいよいよ卒研の発表会である。あまりにも面倒というか長丁場になりそうというかダルいというか、12分の持ち時間を確実にオーバーするであろうのでかなり駆け足でやらねばならないだろう。そもそも俺が取り組んできたことが12分ごときで言えるはずがない。というのは明らかに傲慢で、もっと簡潔にできてこそデキる人間というもの。デキる人間になりた〜い。という言葉から「デキる」を取り除くと「人間になりた〜い」であって、つまり俺は人間ではなく類人猿だったのである。誰が類人猿やねん。ここまで一つの必然に基づいた流れですので覚えておくように。足元にパブロンの錠剤が転がっている。もちろん瓶詰めされたものであり、いずれ風邪をひいた俺が、自分の無臭の足の裏で愛でまくった錠剤を服用するという事態にはならないので安心してほしい。安心ですメロン。ちなみに無臭の足の裏という穏やかではない単語が飛び出したが、安心してほしい、無臭ではない。しっかりと人の臭いがする。臭いって書くとなんか汚らしいので匂いと書くと、スメルのイメージも違ってこよう。さっさと瓶を拾い上げて机の上に置くべきである。なぜ私は瓶を机の上に置かないのか。それについては100の質問で答えましょう。100の質問なんてやらんけど。あれもまた気にくわないシステムの一つだ。はっきり言って俺は、よくあるブログの、つって俺んとこみたいに書き散らすタイプのブログもこれまたよくある路傍の石に過ぎない分際であるとエクスキュースを入れておくが、とにかく何となくお高くとまった感じのするブログであるとか文書であるとか、そういうコンテキストが大嫌いでござる。人の目を引こうとしてるんだろうけど、例えばはてな注目エントリーのタイトルを見るとうんざりする。他には、しょうもない推論とか感想とか愚痴をぶち上げて人の危機感を煽るようなコラムなどはゴミクズであり死ね。今ネットで人々を駆動しているのは「ネタ」であり、例えば誰それがなになにを言いましたっつー記事が出てきたら、やれこいつは軽率だの、居直ってるだの、どうだの、とヤンヤヤンヤとレスを重ねていってフラストレーション発散投げっぱなしジャーマンおめでとう。それはサーキットをグルグル回って「やあ、いい汗をかいたね」みたいな形式であり、よくよく考えてみるとそのパターンは世の中にいっぱいある。烏合の衆集めてもやることは結局そんなことである。要するにネットニュースというものはもはや、話の種でしかなく、元々ニュースとかテレビとかのメディアはそういう役割を担っていて、例えばごっつであっても月9であっても漫才企画であっても、次の日に学校や職場でそれについて感想を述べ合ったり論評し合ったりという風に扱われてきたとはいえ、ネットにおいてもそれは何ら変わらないということは周知のことである。ここまで書いといてなんだけど、こんなことは当然知っていなければならないレベルのことであるように思えてきて慙愧に堪えない。今までは誰かの家に集まってこっそりAV鑑賞会でもしていたものが、今では公開オナニーである。こっそりやってるならまだしも、俯瞰してこの状態を見てしまったらヤベーと思わないだろうか。思わないのである。公理である。怠惰にゆるゆると楽しむのは、自分も思いっきり身をやつしていることなので、いいことであると言いたいが・・・。何となく悲しくなる・・・悲しくなってはいけないのである。耽溺していけばいいのである。であるばっかだな。また。