オリジナリティについて

「オリジナル」というものは、権威的にしか作り出されないと俺は考えているが、詳細はまたの機会に。
そう考えることを助ける言説をいくつか記載する。

つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

西部邁「寓喩としての人生」

そもそも、真にオリジナルな作品などというものは、この世に存在するのでしょうか。一体どれだけ存在しているというのでしょうか。誰も、ゼロから1を生み出してはいないのではないでしょうか。いかなる天才であれ、先人の作品から刺激を与えられ、影響を受け、学び、あるいは技を盗んでいるはずです。あたかもゼロから1が生み出せるかのように誤解をしてしまったのは、現場の物語製作者たちというよりは、それを周囲で眺めている人々ではなかったでしょうか。

新城カズマ「物語工学論」