ポジショントーク

  • なんか言う時ってだいたいポジショントークだよね。
  • これも、やはりそう。
  • 我々は、消費するために生まれたのでも、豪華な生活をするために生まれたのでも、幸せになるために生まれたのでさえもない。単に生まれたのだ。
  • 単に生まれて、なんか身体感覚みたいなものが発生して、消費したり、豪華な生活をしたり、セックスしたりしてみると、なんか知らんが幸せになれて、幸せだと感じることをもっと欲しいもっと欲しいと取り込むようにできている肉塊であるから、そうしているだけではないか。
  • 超当たり前なのだった。
  • 「そうなっている」事柄に言葉で対抗し、是正しようとすることは、ガチンコでは敵うはずがないから、「そうなっている」者特有の心の隙を突いて、チャームしようという戦法だ。
  • あるいは「立場がもし逆転したら、ひどい目に遭わせてやるぞ」という迂遠な脅しとして、スタンさせる戦法でもある。
  • こういう俺の発言も「持たざる市民」としてのポジショントークである。
  • もし俺が、市民をだまくらかして得られる権力を振るう立場の者であれば、こんなことは言わない。良い感じの道徳をこんこんと説くだろう。
  • 穿った見方のように思えるだろうが、世の中、そんなものである。
  • 愛というものは確かに存在するが、それは恋人などの特定の二者間でギリギリ存在する可能性がある程度であり、全体対全体などの間には到底成立しないだろう。
  • 愛。愛の要件とは。そいつととにかく一緒に過ごしたいと思うことだろうか? そいつが何したって許せるということだろうか? じゃあ「そいつが、そいつ以外に変身する」という行動をとったとして、それは紛れもなくそいつの行動であり、そいつはそいつではなくなるが、許せるのだろうか? 帰納していくと、誰かを愛すると、すべての人間を許すことになってしまう。
  • ポジショントークといえば、匿名という立場は、ポジションを持たないという立場だね。
  • 何らかのポジションから言葉を放てば、そのポジションからの発言として、必ず評価されるが、匿名であれば、評価されたって、それは「匿名」という超広範な立場が吸収してくれる。
  • 日本人がその立場を好むのは、「自分」と「自分の発言」を、ヒモ付きで評価されたくないから、というのが一因としてある。
  • つまり、ヒモ付きの発言を評価されることは、嫌なことなのである。
  • しかし、その嫌なことを他人にするために、匿名になるのである。この点のせいで、匿名という立場を擁護するのは、非常に難しい。