未来日記 感想
今さらながら。ネタバレしかしない。
- 語り合える人がいなそうだったので、ここに書くしかない。
- 一気に観た。
- 端的に言えば、感動した。
- この感動をまどマギの感動と比べるべきだろうか。
- 色々と、そんなアホなというシーンが多く、それが道中で興を殺いだのは殺いだ。
- 具体的には、作業しながら観る時もあるぐらいには殺いだ。
- しかし、特定のシーンだけをイイと思うことはできる。
- この話の最もよかったシーンは、金庫の扉の間で爆発する時のみねね。あと、ラスト直前のユノが自分を刺す前後。
- みねねは、ユッキーらにつかず離れずで、非常にいい役をやっていたが、彼女の背景がよくわからないので、あるっちゃあるけどそこまで思い入れがない。
- しかし、音楽との相乗効果により、一定の感動を得た。
- ユノの自殺のことだが・・・。
- あの濡れ場の濡れる所以は、1週目ユノのあまりの救われなさに尽きるだろう。
- 2週目ユノはそっこーで死んでいるので不幸だが、「解放してやったぜ 恐怖からな」というゲンスルーの偉大な発言からすると、絶望を深く感じまくった1週目ユノの不幸さに比べればまだマシかもしれない。
- 3週目ユノは、1週目ユノと2週目ユッキーの干渉のおかげで、なんとか人間としてギリギリやっていけるルートに入れそうだったのに、それを目の前で見せつけられ、自分には帰る場所が存在しないし、「まるで悪役みたい」だし、どこでこうなってしまったのか、という絶望が計り知れない。
- その計り知れなさを好物として、フィクションの世界に顔を出しているのが俺だ。
- そんな3週目ユノの悲しみ、どっくんどっくん血が流れて絶対死ぬぐらいの絶望の傷口に、気休めの包帯を最後の最後で巻いた2週目ユッキーの焼け石に水感、でもそこだけは一瞬ユノも救われた感は、文句なく、この作品の良いところであった。
- しかし1週目ユノは、やり過ぎである。人を殺し過ぎである。
- その殺し過ぎさ加減は、見ていて非常に爽快感があるのはある。
- ガキの日記保持者を、ぐだぐだ言ってないで早く殺そう、とか言ってじかに殺しにかかるところなどは、とても合理的で、気持ちがよかった。
- ただ、やり過ぎではある。
- そのやり過ぎは、ユノの累積した絶望のせいと言うこともできるだろうし、実際にそうなのだろう。しかたがなかったのだから、ユノのそういう点には目をつぶり、ユノの絶望からのあがきと純なる願いのみを評価するべきだという声もありうる。
- しかしその是非を決めるのは、やはり観劇の魔女たる俺なのである。
- 彼女の中での辻褄がいかに合っていようと、あるいは美しく合っていなかろうと、あれほど気軽にホイホイ人を殺しまくっていたら、なんともなあ。ボニーとクライドのようには見れねえなあ。
- そこには先述のとおり、爽快感も宿ってはいるのだが。
- 爽快感が正当性を持つのは、その作品がギャグものである時ぐらいなのかもしれん。
- 途中から、神になればみんなを生き返らせることができる、という信条のもと、自分の殺戮を正当化していた時があったからなあ。裏もとらないで。葛藤とか、保留してたもんなあ。「最終的につじつまは合うんですって!」という理由でぶっ殺しまくってたら、割と等速直線運動というか、それが嘘ってわかるまでは自動的にぶっ殺しちゃうからなあ。
- 裏とってなくて取り返しのつかないことをしまくってた時期ってのは、本人も悪びれないわけだし、観劇の魔女としては「あーあーあー、これダメだろ」と思っちゃう。
- そうしてユッキーはユノと同じくお気軽殺人軍団に仲間入りしてしまうわけだが・・・。
- ユノのお気軽殺人に俺が若干ひいてしまうのは、ヤンデレという心理を推し測りあぐねているせいではないだろうか。
- ヤンデレというのは、愛情の一種ということで一般的には間違いないはずなのだが、ではその愛情は、どういった性質のものなのかが、計りかねる。
- 例えば、ユノはユッキーを拉致監禁していたことがあるが、それって絶対、ユッキーは嫌がるはずなのである。実際に目の前で嫌がっている。
- そのことを推測できないユノではないだろう。アスペというわけでもないだろうし。
- ここで登場するのが「恋は盲目」という概念。うーん、必殺の言葉だ。
- しかしそういう風でもないんだよなあ、見てる分には。
- 「とにかくユッキーと一緒にいられればいい」と割り切っているのであれば、合理的な行動ではあるが、ユノの希望のよすがは「ユッキーのお嫁さんになる」ではないのか?
- ここがヤンデレの不可知な領域である。相手の自由意思を封じ込めた上で、物理的にユッキーが近くにいればいいのか?それって本来の願いからかけ離れていないか?
- いや、やっぱり、これこそがヤンデレの不可知かつ神聖な領域である。
- 通念的ヤンデレは、まさに「物理的に近くにいればいい」のである。相手の自由意思を封じ込める過程などは、ヤンデレをわかりやすく描く上で欠かせないものだしな。
- 時間が経ち、状況が悪化(嫌われていったり、他の女になびいたり)していく過程で、願いが矮小化し、最終的に「せめて物理的に近くにいるだけでも」と自由意思を捨象するのだろうか。
- しかしユノは、割と先手を打って捨象しているのだよなあ。
- なんか「星を見に行こうよ」とか言ってユッキーを誘い出して、睡眠薬飲ませて監禁してるし。
- 二人とも追われる身になって運命共同体っぽくなっているし、ユッキーも別にユノにその時点では反抗しているわけではないのに。
- それまでにユッキーが、ユノを裏切ったり不審に思ったりしている兆候があったから、ユノは恐怖していて、それで先手を打って「お嫁さんになる」といういちかばちかの願いを矮小化し、ほぼ確実な「物理的に近くにいるだけでも」を選択したのだろうか。
- なるほど。割と理屈はつけられるな。
- いやーしかしそれはなあ。
- 最終的な直情的感動にとってはあのラストシーンだけで十分だが、あとから作品全体に思いを馳せて味わう反芻的な感動には水を差してしまうのではないか。
- ↑つまり、やや好みではないと言い換えられる。
- やたらと性がらみのシーンが多い。
- 最後の方とか、ユノとユッキー、100%ヤッたしな。
- とらドラでも最後の方で竜児と大河ヤッてなかったっけ。
- まあ、あれは良かったね。
- 途中、次々とゲーム参加者が主人公らを狙ってくるのは、あ、パターン入ったな、と思ったけど、それなりにそれぞれ楽しめた。
- ああいうパターンって、アクションゲームのステージを攻略していく感じがあるよね。それぞれのステージが割と独立していて、他との関連性が薄いというか。ジョジョの奇妙な冒険とか、基本的にそんな感じだよね。それが極端なのがキノの旅とか。
- それぞれが面白ければ、別にいいのだが。
- しかし歳もそこそこのガキがあれほど権謀術数とか、主人公の親父がガチクズなのか何なのかがよくわからんというか、人間の非一面性を考慮しないと、オイオイと思ってしまうキャラクターが非常に多い。
- 人間はそもそも非一面的であるのに対して、人が想像する人間の人格というのは一面的である。例として、ホリエモンも言ってたように、殺人犯の人でも普通に楽しく会話できたりするが、巷では「いかにもやりそうな人でした」と印象が暗黒に堕するものだ。
- その辺が逆にリアル過ぎて、親父のガチクズ感と、家族思いな面が、俺に混乱をもたらしていた。
- まあ、その点は些事かも。
- そろそろ語りたい欲望が矛を収めてきたので、総覧する。
- 非常に面白い作品だったが、退屈だったところや、納得いかなかったところもある。
- しかし、とてもいいシーンを内包していた。
- なので、たいへん良作でした。