資本主義について

 ちょっとしたコーナーを設けようと思います。それは、書くことが内省的なものばかりになるのも退屈だろうし俺も困るので、何か一つトピックを持ってきてそれについて俺がWeb上の文書を探し回って勉強し、その成果をここで発表していこうかというものです。俺も勉強になるし、読んでる人も面白がってくれるかもしれないのでという理由です。
 今日のトピックは「資本主義」です。これも小林と話していて興味を持ったので調べようと思ったのです。参考文献は脚注にします。


 資本主義って何だろうか、というのは大体の人は俺ぐらいには答えれると思います。お金がすべての主義でしょ、とか、金があちこちの人々に利益を落としながらグルグル回っていく経済の体制、とか、株、とか。それで合ってるんだと思います。資本主義とかナントカ主義っていうのは、結構人によって定義がバラバラで、誰に訊いても反対されないような確固たる中心部分っていうのはすごく小さいらしい。それでも言うなら、お金をいっぱい持っている資本家が、資本(金)を出して、設備やら職場やら環境を提供し、資本家に雇われた労働者が自らの肉体と時間をもって仕事をし、代わりに資本家から賃金を得て、労働者は生活していくという形式で成り立つ制度です*1。資本家は労働者が労働したことによって生まれた利益のうち、いくらかをピンハネして利益として得ることで、みんな得します。資本家は何の苦労もしてないですけど、お金をつぎ込んで色々用意した上で、それが果たして労働者によって投じた額を上回るような利益を生むのか分からないので、リスクを背負ってはいます。まかり間違って資本家が、道行く人々の額に「肉」と書いて回る事業を打ち立てて、書きやすいマジックや逃走用の車、作業員育成のための書道教室などを用意したところで、丸損に終わるだけです。そうやって失敗してしまった資本家は公園でダンボール生活になる可能性もあるのです。一応、体裁としてはそうやってバランスがとれているになっているようです。
 もちろん労働者が労働で得た賃金をコツコツためて、将来的に資本家になることもできましょう。銀行から融資を受けて始めることもできる。実際にそう画策している人も居るようですし、資本金1円の株式会社もありますから別に金持ってなくてもできることはできるようです。
 しかし基本的に労働者は賃金がイマイチです。例えば病気になって病院に行ったとする。ここで本当に診察や治療にかかるお金を資本主義的にそのまま出していたらものすごい額になり払えないかもしれない。払えないからって我慢しても、我慢で病気が何とかなるはずもなくバタバタ倒れていってしまい(アメリカはもうそうなってきてヤバいらしいですけど)、労働者が減ってしまう。これでは資本主義も何もあったもんじゃないぜ。そこで健康保険*2の登場です。日本人のほとんどはこれに加入するようになっていて、みんなからお金を徴収します。そんでもって実際に医者にかかった費用のうちの何割かに充ててもらいます。累進課税(税じゃないけど)なので高所得者ほどいっぱい払います。これにより、低所得でも何とかなるようになります。何とかなってないこともあるけど。
 でもこの保険というのは資本主義の経済体制とは性質が違います。国が手入れして、こういう制度を設けることで、部分的に資本主義とは違っています。こうやって必要不可欠なことは部分的に資本主義から外れて政府が法律や何やらで調整しているのは、修正資本主義といわれ、資本主義のヤバさを改善したもので、現在の資本主義国家はこういう細かい修正を取り入れています。こういうのを福祉国家といいます。資本主義はこんなところの差異によっていろいろ分類できるのですが、保険とかを国が統率している場合は福祉国家型資本主義というそうです*3。もし保険というか金融が発達していて企業がその役割を担って、国がイチイチそんなことしなくても済んでいる国なら市場原理型資本主義というそうです。今の日本でも、お昼のテレビCMでは山ほど保険会社の宣伝がされてますよね。テレビ見ないから今でもやってるのか分からないけど。ほとんど外資系らしいです。そんなところを外国に握られたらヤバい気がしますがその辺はまだよう分かりません。
 仕組みとか現状については他にもまだ言うべきことはいっぱいあるんですけど調べきれないので今度は歴史というかどういうところから資本主義が出てきて今こうなってるのかについてちょっと。
 マックス・ヴェーバーという偉い人の著作*4によると、16世紀ごろ、ヨーロッパでのキリスト教プロテスタント生活様式というか生き方が資本主義の源流というか、それが今ここまでビッグになってる要因の一つだということらしいです。この頃はみんな教会の教えを守っていれば生きていけたし、教えを守っていることで「うおー俺は教会の教えを守っているんだーー」という精神的な支えも得られて、色んなことに一生懸命になれたし、今の日本人なんかよりよっぽどみんな幸せだったわけです。知らんけど。でもそれは教会がすごい力を持っていたからこそできたことであり、もし凋落したらみんなえらいことになるわけです。でも戦争やら何やらと色々パワーを使わなきゃいけないイベントも起こってしまい、いつしか教会のMPも切れて人々をカヴァーしきれなくなってきたと。でもそれじゃあ人々は困るわけで、どないすんねんとマジで焦った。そこでこういう考え方が出てきた。「働いて働いて、欲もかかず、真面目にやって、お金をためれば、それであなたは救われますよ」。これは、善行を積んでいれば救われるという教えとカブってるというか似てるので、みんなスムーズに移行しやすかったんだろうな。これが結構受け入れられてみんなそうしたわけです。するとお金はいっぱいたまっていく。でもそれは別に金がほしいわけじゃなくて救われたいからためてるのであって、みんな豪遊などせず、むしろもっと金を儲けるための資金として使ったりしたわけです。これって今の資本主義国家を見ても、やってること自体は基本的に一緒ですよね。中の人の意志は全然違うけど。でもこうニーチェとか出てきて科学も発達して、宗教が昔に比べると陳腐化してしまって、そういう敬虔な思いからの金稼ぎの、目的が変容していった。目的と手段が入れ替わるというか。あとは大体、その流れから来て、今の資本主義国家を見ればどう変わったかは分かりますよね。
 余談だけど、この頃にカルヴァンという人がリーダー的存在になって牽引した、カルヴァン主義という考え方が出てきた。予定説、全的堕落に代表される主義です。本来は、善行を積めば神は見てくださって救ってくださるということになっていたんだけど、カルヴァン主義では「ねーよwwww神は最初から救う人と救わない人決めてるんで。何やっても無駄」と全否定←予定説、「知恵の実を食ってエデンを追放されたアダムの子孫であるお前らはその罪を受け継いでいるので全員最悪な件」と提唱←全的堕落、神の祝福を受けるサクラメント*5という儀式も禁止してしまって、教徒涙目、いよいよ資本主義一直線の方向になっていたようです。(ただしカルヴァン主義は別に人々を最悪にするために出てきたわけじゃなく、善行を「神に救われるため」にやるという偽善を排して、「善行をやるような人が救われる人なんだよ」というためにこんなことを言い出したのであって、決して破滅主義ではないそうな)

 こんな感じかな。数時間で調べただけなので正確でなかったり的外れであるところもあると思う。明らかにおかしいところは突っ込んでください。勉強になります。