継続、不毛な煙草

 おおっと危ねえ、書くのを忘れるところだった。もし0時で一日が終わる通常の勘定だったら、早速空白ができてしまうところだったぜ。6時で一日が終わるってのはいいね。人間の活動が止まる睡眠はおおよその場合6時をまたいで行なわれるからね、通常。合理的な方式だと思いますね。
 改行がわざとらしいと昨日書いたけど、そうでもないなと今思った。単にその時の、気分の問題だったんだな。今は普通に段落わけしているし、していることに抵抗がない。何なんだ、俺は。
 継続は力なりというがそれは精神的な意味合いではないと思う。毎日更新されるブログは、毎日更新されるのなら読もうかという気にもなり、一つの日課にすることもできる。途中で放り出したりせずにコツコツとやることは非常に大事だが、自分以外の人に対するパフォーマンスとしてはすごく機能する。つまり継続はいいことだらけ。何事もすぐ飽きて継続しない怠惰なこの性格は全く損だと思う。思うので、できるだけ続けていこうと思っている。簡単なことからね。なるべくやろうとして、それでダメだったらもうどうしようもない。それが俺の限界だったんだよ!ということで世界の人々が繰り広げる様々で活発なダンスから一歩引いた場所に甘んじるしかなくなるだろう。自然淘汰であり納得もいく。今のは国家紛争とか企業の競争とか人間関係のいざこざをダンスに喩えてみました。うふふ。
 夜食用とかに買ったパンやらおにぎりを食べ忘れて、でもまた買ってきて、腐らせてしまうようなことがままある。
 風呂に入ってきました。何だパンとかおにぎりって。俺が今考えていることはそんなしょうもないことではない。煙草はやめた方が経済的なんだけどやめてない。ニコチン依存というのとは何か違うな〜なんていうと「俺酔ってないよぉ」といってベロンベロンになっている残念な人のようだが俺はそんなウンコではないことを読者諸賢はご存じだろうが(諸賢つって褒めておけば何言ってもいいと思っているのだろうか)、実は俺は煙草の煙を吸うとゴホッゴホッとかいまだになるような人である。1日に1箱吸ってしまう。なんで吸っているのか意味不明なのだがあまり意味不明でもない。というのも手持無沙汰なのが耐えられないというか落ち着きがないところがあって、例えば中学生の頃、うちの中学は2年生で委員などになると自分にはほぼ関係のない人々の卒業式の練習という謎の訓練をしょっちゅうさせられるのだが、身じろぎをしないようにと指示を口が酸っぱくなるほどされたのに俺はよく動いて注意されていた。同じクラスのいわゆる不良の生徒で、ネタみたいな感じで何故か委員になっていた藤田というやつが居たのだが、そいつでも握り拳を膝の上においてなかなか落ち着いていたというのに。ま、卒業式の当日はどういうわけか二人で「フーレン!」という謎のフレーズを小声でささやき合って笑いを堪えるという事態になり、訓練は何の意味もなさなかったのであった。そんなわけで昔から常に何かしていないと居られないタチがあって、それに煙草を吸う動作がピタッと合うのよ。だったらガムでも噛めばとなるんだけど、あれはどうも好きになれない。常に何かといっても恒常的にというわけではなくて、これをやって、これをやって、ちょっと手が空いた時に、みたいな感じがいい。選択肢をたくさん持っておくという感じに。ああしょうもない。早くやめた方がいい。
 うーん今日は短めですがこの辺にしておきましょう。明日、というか今日、ちょっと早いんですよ。といってもすぐ寝るわけじゃないんですけど。やりたいこととやるべきことが残っておるのです。ではまた。