時間の概念、「わかる」、ゲーム案

 時が過ぎるのが早すぎる。もう水曜日終わりなのか。麻雀とシヴィライゼーションをやっているだけで終わってしまった。クロノスの時間、カイロスの時間という概念があって、それはエロゲ「3days」で知ったのだが、クロノスの時間は客観的な、時計とかで計る時間。カイロスは全く主観的に感じる時間のことを指す。常に自分という主観的な存在でいなければならない我々はカイロス的な感じ方しかできないが、時計を目の前に置いて一秒一秒を実感しながらただじっとしていれば、いくらかクロノス的に過ごすこともできよう。その同期を図るには常に客観的な何かを見ていなければならず、「えーでもこれって本当に正確な時計なんですかあ?」と疑念を抱いたらもうダメなのではないのかい。カイロスに支配された僕ら。カイロスって言われてもポケモンしか思い浮かばないからあんまりカッコよくない。よくないよくないデベデベデイ。自分が何をしたか忘れるぐらいに、何を書いたかを昨日の夕飯がなかなか思い出せない感覚と同等になるようにブログをやっていきたい。なかなかそうはいかないものです。世の中のどこかに自分をインストールするような作業であり、空気抵抗が結構大きいので疲れる。空気入れはタイヤに空気を入れるだけなのにあんなにしんどい。空気は強敵。重たい。「重たさ」は舞城王太郎の短編で文芸雑誌に載っている時期にたまたま本屋で見て読もうかと思ったけど読むのをやめてしまった。好きな作家でも触りでピンと来なければそんなもんだった。やっぱり作品は著者から独立しているもので、面白い作家といってもイチローより打率がいいかどうか。もう別に「ここで、面白い、というのは自分にとってです」という注釈はいらないよね。いちいち「まるで普遍的にそうであるかのように振る舞われた」と言って怒る人は鏡と喋っていた方がいい。そういうのを断るのも面倒で、いっそヘッダとして自動挿入されろ。受信機の方にその機能をつけるべきだ。分かったか、Yahoo掲示板。
 「わかる」という言葉には少し気を遣う。「わかる」「分かる」「判る」「解る」などあるけどどれを使うかに悩むことはある。全部「分かる」は野暮ったいじゃないですか。「判る」「解る」「分かる」を使い分けるのも、いちいち文字が変わって読みづらいというかしちめんどくさいところがある。なら「わかる」だけど、文節の区切りが時々判然としなくなる。今の俺なら「わかる」一本か、「分かる」一本か、「わかる」と「分かる」の混合です。全然気を遣っていないじゃないか。こだわりがあるのではなくて、どれを使うべきかについて悩ましい思いをよくするということです。
 卒論のテーマ探しが難しいがニコニコのような動画共有サイトを利用して何かするということになりそうです。
 風呂上り成人です。話の途中で風呂に入ることが多いがどうしてだろう。やんごとなき急激な便意のせいなのですよね。大と風呂は不可分のプロセスですから、こうなってしまうのです。どうでもいいよ。
 風呂の中でちょっと考えていたのだけど、サウンドノベルって面白いよね。横書きや縦書きでプレーンな文章で表現された小説に主にハマっていたけれど、小説ではできない表現っていうのもあるよね。うーん、しかし小説でも色々実験されているからなあ。普通の縦書き、同じ大きさのフォント、というのに留まらない小説がたくさん世に出ているそうです。いやそんなのはよくって、音楽との融和。ここがたまらないサウンドノベルの味ですよ。なんかさあ、ゲームのストーリーに全く干渉しないたまごっちみたいなキャラが一人だけ居る世界みたいなのがあってさ、それがゲーム画面に常に表示されていたら面白くない? ゲームの中で起こった出来事によってたまごっちの世界が何かしらの影響を受けたり、たまごっち自身の体調とか精神状態が左右されたりするの。本編のキャラが人殺ししたら食べ物が増えるとか。確かスクールデイズのゲームの方に、どっちのヒロイン寄りになってるかみたいなメーターがあったと思うんだけど、あれのもっと凝ったバージョンみたいなね。う〜ん、面白いかもしれん。これ読んでる人は別にそうは思わないかもしれんけど、俺の中でのヴィジョンはなかなかよさそうだよ。作ってみたいねえ。できるものなら。そんなこと言って今までできたのはああ松井山手だけだけど。なんであんなわけのわからないゲームをみんなやらないんだろう。そんなことはいいんだけど。こんな文体でさあ、シナリオ書いたら超うざいだろうね。なおさらやりたいな。短いけどまた。