居ませんか、結婚観、子供

 ブックマークされた記事の内容を換骨奪胎、政治について語っていたはずなのに突如、臀部の尖り具合と性癖の傾向について力説した意味不明の記事に変更し、支持者をキモ野郎にしてやるという試みをした人は居ませんか。主記憶装置と補助記憶装置のその名称から、役割を逆に考えている人は居ませんか。ブルーレイと聞いて綾波レイを想像した人は居ませんか。タクラマカン砂漠という響きが好きな人は居ませんか。うんこをしたら山盛りすぎて流れず、バケツに水を汲んでものすごい勢いでぶっかけたことがある人は居ませんか。鳳仙花。生きてる人、居ますか? 舞城王太郎と聞いてドラクエ6のヘルクラウドを連想した人は居ませんか。Macの人とチャットしてて意図的に機種依存文字連発し、スラングを使う黒人気分になったことがある人は居ませんか。ゴビ砂漠と聞いて「荼毘に付す」とか「ゴミ砂漠」と思ったことがある人は居ませんか。MSWordの「入力ミス?」にむかついたことがある人は居ませんか。綿棒で耳掃除をしている人は居ませんか。俺の身の回りの世話をしてくれるメイドさんは居ませんか。ウェルメイドと聞いてメイドさんを想像した人は居ませんか。いたる絵が好きな人は居ませんか。Aの音は440Hzらしい。ロマン派と聞いてなんちゅう名称だと思ったことがある人は居ませんか。セックスとジェンダーという名前の講義をドキドキしながら受けた人は居ませんか。学生課に問い合わせられねえよ。爪楊枝が歯の役に立ったことがあまりない。
 こうやってあるあるネタみたいなものを考えるというのは本当に筆が進まない。全然、オートマティスムじゃない。
 結婚観について。結婚したくないというのは自由を制限されてしまうからという理由でそう思っている人は多いと思う。全くその通りであるが、そもそも結婚って成り行きでやってみたくなるというのが普通なのではないか。アッーこの女いいな、つがいになろう、みたいなね。訳の分からん付加価値がいっぱいついているから今は結婚が訳の分からんものになっているのだ。結婚してないと社会的にまずいって何だよ。結婚よりも俺は子供を儲けることの方が信じられんわ。生まれて来なければ楽だったというのは常識なのに、そんな存在を増やすとは・・・。子供のいかなる欲望にも応えられる準備がある人だけが子供を持つ正当性がある。それだって飽食して虚しくなってはいけない。つまりダメなのだよ。ただしそれと殺人は全然違いますよ。生まれてしまった瞬間にこの話は効力を失う。親を資格制にしろという意見を時折耳にするが、賛成派だな。ただしその思想を他人に適用はしなくてよい。産みたい人は産んだらええがな。ただ、貧しい家に生まれたらなかなか不幸ですよ。そんなこと言ったら稼ぎ手として子供を儲ける立場の人たち全否定になってしまうけど。なんという負の連鎖、とは思いますね。外国の貧しい子供たちがどうこうとかみんな言うけど、そもそもその子供を作らなければよかったという、前提を疑う人は居ないのだろうか? 勝手にセックスしてポーンと生んどいて、その援助をしなければっていうのは、その親たちが甲斐性なしであることを前提としていて失礼にあたるんじゃないの、我々の価値観に照らせば。子孫を残すことは人間の本能だというが、じゃあ本能だけはホイホイ遂行するけど、別の本能である生きることそのものが破綻しているのはいいのかよ。遠い世界で勝手に産めよ増やせよしてることが、こちらを圧迫してるんだから鬱陶しくないか。グローバルって最悪ですね。要するにああいうのは侵略なわけですよ。はぁ。でも社会に依存してる生活を送ってるしそれが当然になってるんだから、今ある世の中の仕組みを斬り捨てることはできませんけどな。俺だけどこか別の星にワープさせてやるから、独りで生活しろと言われても、困るっていうか無理やし。宇宙船地球号の中はややこしいことだらけです。要はその中に新たな生命を放り込んでやる、つまり子供を作るということは、罪悪という価値観でいうなら罪であると思うのよ。個人的にはいいんですよ、俺が極悪非道で裕福で女性関係に富んでいるなら子供いっぱい作るし、そんな悲しい存在が将来、生まれてこなきゃなあと悩んでも俺には関係ないから一向に構わん。ただまあ無理やり善悪を導入してチェックするなら、悪だろってことです。みんな子供のことになると過敏になって、子供を守るとか積極的に言うし制度も作るし法律も変えるし子供が虐げられたりすると非難するけど、共感は全くできんね。なんで子供を守ろうとするのかは理解できるんですよ。時に、子供と接すると、色々してあげたくなったりしますけど、そういうのって二の次三の次の優先順位なのであって、法律無視の場に俺が連れていかれて子供ハンティングとかさせられたら、金額によってはやりますなあ。もちろん今までの人生で培ってきた相対化されていない倫理観などがそれを阻みますが、何とか乗り越える努力をするだろう。この一連の記述を読めば、やはり普通の人なら「なんと危険な人物なのだ」と思うのだろうか。こっちにとったらそっちの方がよほど危険なんだけど。不幸な少年少女時代を送ってきた人にとったら、ふざけるなって思うでしょうな。俺らはボロカスな子供時代をなんとか乗り越えたのに、いざ大人になってみたら子供を守りましょうかって、ナメてんのか、とね。これは、慰安婦問題のように、戦う場を与えられてないし世論にも肯定されないので、本当にキツイでしょうね。俺もそのボロカスのうちの一人のような気がしないでもないですけど。こう言うと「悲しい少年時代を送ってきたんですね」「家庭に問題があったから、許せないのですね」みたいに片づけられるんだけど違えよ。歪曲したフィルタを持たなくて済んでいるだけのことよ。性欲がなくなったら女性は本当に奇妙な存在に映ると思うし、性欲というのはすっごい人間の価値観に影響を与えて歪ませていると思うのだが、それの子供バージョンだよ。インポなので別に女は冷静に扱えます、整理できます、というのと同じ。性欲失ったことないけど。まっ、人間の価値観など歪曲の塊みたいなもんだと思いますけどね。だからこれも含めて人格であり、子供についての歪曲を持ってないということはつまり欠陥であると、するのは妥当かもしれない。ホェッ、じゃあ世の中は全く正当なのでは。そうすると、理屈をつけて先進国からODAを巻き上げる流れにしている人々も、正当というか上手いのでは。上手いな。じゃあ何が悪いんだ。やっぱり善い悪いで物事を考えるとロクな結論が出ない。必要な考察や議論というのは、善いか悪いかではなくて、どうすれば目的を達成できるかということに尽きるな。その目的を達成することが善いか悪いかという前提は疑ってはならない。そこは個人が判断することだ。同じ行為でも立場によってやるべきかやるべきでないかは当然違うしな。じゃあじゃあ翻って、今のこの俺が居る社会の一員としての立場から、都合のいいことばかりを言うよ。本質的に考える必要などないね。鬱陶しいことは鬱陶しいのです。さあ、うんこしに行こう。また。