最近、懐古、ネタがない

 彼の返事を待ってると宇宙の星の位置に同一局面が出てきかねないので(分かりにくい喩え)、別のことを書きましょうね。なんかこういう「しましょうね」「だよね」みたいな、サラッと、相手にストレスを感じさせずにイラッとさせる語尾(どんなんだよ)が最近のマイブームですね。「だ」「である」調で偉そうに発言してきた反動なのかな。反動っていうんなら何か中心的なものがあってそれを軸に行ったり来たりしているはずで、その中心が実は俺のイデアなのかもしれない。本当、何が何なんだろうね。世の中に色んな評論とかあるけどさ、それは一個人に適用するには大雑把過ぎて、自分の内部を規定するための理は自分で生産していくしかないよね。自分でフェラして射精だ。それはとても素晴らしいね。閉じた世界で独り善がり。シフォン主義。もっとみんな核家族ならぬ核個人化していってしまえ。死ね死ねや〜い! 世の中で一見馬鹿にされるものを猜疑して考え始めてしまったら終わりだ。
 喫煙は一種のステータスとしても機能してるんじゃないかなあ? 健康など顧みる必要なし! という身体を張った指標の表明・・・。今の世の中に対してね。Skype me!という状態表示みたいなね。大したこと言ってないのでもういいや。
 過去を顧みる年齢が低くなってきていませんかね。おっくせんまんが流行ってさ、子供のころはよかったとか、20そこそこのやつが思ったりしちゃってるとか、中学時代に流行ったポップスを聴いて、よかったなーなんて言ってるのは、いいのかなあ。ねえ。早い気がするけどね。短絡的に考えれば、今がろくでもない世の中で、昔はまだよかったのかな。それとも今のやつ自体がヘタレで、社会に出て揉まれるのが嫌になっちゃって容易に懐古厨になってしまっているんでしょうか。それとも、今に限らずいつの時代でもこれぐらいの年齢から実は懐古してたんでしょうか。どれかを採択して信じてしまえばそれでいいんだけどな、こんな問題。やっぱ何にも関係ない立場に居るやつがその関係ない対象について書くというのはとても難しいというか正直無理でね、普段から思ってることとか日常からの癖で創作ってのはやらないと、無理が出てくるというかできないんだよな。物語を作るとしてですよ、やっぱり村上春樹とか古川日出男がそんなに好きじゃないのにあの人たちみたいなタイプの物語を考えようとしても無理なんでしょうよ。じゃあ普段から自分が問題にしているというかよく考えているようなことをテーマにしないといけないんでしょうね。そうしたら俺にとってそれは何なのかなあ、と考えてみたところで、あんまりないだよねそういうの。じゃあやめたらいいというのは考えないようにするとして、どうしたらいいんでしょうね。小林に何かネタを求めても、苦笑いされただけでそれについては何も言ってくれなかった(あるいは言えなかった)し、必須要件は「萌え萌え」「読みやすさ」だということが分かり、ますます俺はダメだということになったんですけど、なんか面白い話を考えたいものですね。