カーン!

 やすやすと挑発に乗ってくれたのでまあ俺の「死ね」発言は唯一の目的を達成したようだが、これが我々のローカルルールでは「ねえ、どうですか」的なことを意味するただの装置としての単語であって、サッカーの審判に「死ね」と発言したことが取り沙汰されてギャアギャア喚くようないつかの低俗なニュースのようにはならないと信じており、恐らくその辺は理解されていると思うので、「傷ついた」というその表明も多分「死ね」に対するオス・メス、対になっている修辞であると思っている。ブログという媒体を借りて、文字のみによるディベートという制限があれば、いつものスカイプにおける「まあ大体のことは了解されているよね、俺ら」という空気が支配して、何がしかの中心的なものの周りをグルグルとうろついているパターンとは別の形になり、新たな着想や発見があるかもしれないからやってみたらいいと思っているのだがよ。
 好き嫌いという次元で人格とかそういう「個人」のヴェールに守られたまま居たってね。思想や教義が対立して戦争になる世の常に倣って、そうしましょう。かの本で提供された諸々について俺は鈍感であると。鈍感っていうか切羽詰まってないだけだと思ってるんだけどな。あの本のセンテンスそれぞれで君が感じたことを、俺が完全にスルーしているというつもりはない。平たく言えば、よく言われているような「虚無感」「ニヒリズム」でしょ。波状言論のインタビューとか、君との対話からヒントをもらった上で具体性を帯びて認識したことは認めるが、全く気付かなかったということはあり得ないよ。「幼少からの体験だか生まれ持った性分だか知らないけど、今時分、拗くれあがった精神構造」と言ったのは、君(ら)を揺るがせたものがあると分かってるから揶揄したわけで、あの程度のことを再認識しただけで変革を起こしてしまうというのが「弱い」と俺は言ったのだ。鈍さがある意味で鋭敏さより優位に立つことは、この本でも触れられていたけど、俺は鈍さをもってその優位に立っている側なんだろう、この本で提供されたニヒリズムに限って言えば。もし「虚構で感動するなんてクズ」という真の現実主義者が目の前に現れたら、俺だって黙らざるを得ないが、ここはちまちま内紛をするとして、要するにああいうことだ。同時にそういう感受性にちょっとした羨望があることもひょっとしたら読み取られているかもしれんが、基本的に、そういう葛藤とか揺さぶられはしょうもないという立場を選んでいるし、ホントにそう思っている俺が過半数だと思うので、れびんは揺さぶられしょうもない派であると断定して問題ないと思う。
 感動するお前らこそ「人間として欠陥品だ」というようなことを俺は言っているのだわな(笑)。飛躍じゃないよ、多分。神様に断罪されているわけじゃないんだから俺がそう言ったっていいだろ。できれば論破してくれとお願いしたい。でないと俺は事あるごとに君を迫害してしまうだろう。我がままだけど、感覚が了解された君らの内輪で「分かってないよね」「悩みがなくていいなあ」とささやき合って嘲笑するんじゃなく、ちょっとはこの俺めに啓蒙してくださいということですね。「個人」の殻に閉じこもるのはクソ論法じゃなかったかい? それはそっちの内規でもそうじゃないの? 俺程度のデリカシーなしマンは、鎧袖一触でいってください。あと、「そっち」「そっち」と、あくまでも俺はそっち側からは完全に独立した場所に居るような論調だけど、そんな保証はないことも、理解されたい。分かってると思うけど。何でも「分かってると思うけど」とか言ってプレッシャーかけるのもひどいけど、ストラテジーです。
 あと、岩手来訪の件についてはどうなりましたか。携帯にメール送ったけど見てないよな、その分だと(笑)。超ウルトラ大掃除のきっかけにするためにも、迅速な、そしてできれば色よい返事を待ってます。

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)