読まなくていいよこれ

 毎日毎日俺様のブログの更新を生き甲斐にしていて、このごろ更新されていないことで身を切られる思いをしているであろう諸君のために、もう寝ればいいだけの状態のところを押して、更新してやろうとしているのだ。ありがたく思え。というような始まりから書いてやろうかなと風呂の中で思っていた関連のことなんだが、藤崎瑞希とか伝説の男タナカを代表とする(代表じゃねえけど)、最初から「俺様は偉い」という立場で突然出現したネット上のキャラクターたちが少なからず居る。〜〜だから俺は偉い、という傲慢キャラとは全然違って、自分がとにかく偉いということが疑いようのない前提になっている人のことなんだけどさ。ああいうのって、要するに自分が神であるということになっているのだが、神という概念がなければああいう人はそんな立場をやっぱりとらなかった(思いつかなかった)のかなーとか、思ったんだけど、神という概念がなければという前提があり得ないので無理な想像ですよね。不思議というか縁遠いというか、決して仕組みが理解できないわけではないが、というのはつまり、自分が偉いということを疑いようのない前提にした上でも、通常の発話が可能である(何らかの宗教に属している人とでも、シチューの旨さについて討論は可能)ということは分かるのだが、それは単なるなりきりでカバーできる程度のことなんだろうか。やっぱり、ある程度自分が偉いと本当に思っていなければできない気もするが・・・器用な人は平然とそういうことを遊びとして別枠に囲んでしまってプレイできるからなぁ。稀有な例だよ。普通はこうやって等身大の発話しかできないもんだ。そんな無茶苦茶な立場で何かをして、何が面白いのかというのは野暮な問いで、奇抜なことをしている人以外の創作活動など全て似たり寄ったりだと言ってしまって、その似たり寄ったりの人は似たり寄ったりの創作物を発表しても、得られる結果など客観的に見れば、それなりに無難なものに落ち着くのは分かっていると言えちゃうのであって、それでもなお、自分に向けて様々な人が反応したり評したりするのを見たいというか、本人にとっては特別だから、要するに、無茶苦茶なやり方で「それ、何が楽しいの?」と一見思っちゃうような立場の人であっても、その人にとっては自分の振る舞いが人々にどのような反応をとらせるかという実験が現実で行なわれるさまは、楽しいものであろうから、その点においては普通の凡百の創作活動と同列と扱うことができるのだ、ということだね。眠いので朦朧として意味が通じにくい。句点使えよな。いやー、書いてみて思ったけど、マジでどうでもいいわ。テーマ自体はいいのか悪いのか置くとしても、俺のこの記事での考えというか考え方というかそのレベルは、うんこだ。読まなくていいよ、これ。と最後で書いても意味ねえんだよな。