小中学校の先生、うんこ

 一仕事終えたんだよ。爽快な気分だ。そうかい。こういうダジャレってさあ、言われたら、どうしていいか分からんようになるよね。ああ、まあ、例えば「爽快な気分」っていうフレーズで何かダジャレを一つ作れ、と言われたら容易に思いつくレベルのものであって、決して発想が秀逸ということはない。でも、そういう指定をされなければ、ほとんどの人が言わないだろうし、会話の文脈においてそれが要求されたわけでもない。なのに放言してみせる。どういうことなんだ。どういうことでもなくってね、困るよね。俺は特に困る。俺が個人的に面白いと思うものと、笑いが取れると感じるものにはやっぱり乖離があって、具体的には、俺の発話を行なう時の確信には二種類あって、「これはみんな笑うだろうな」っていう確信と「おもしれーwwww」という確信がある。この二つは時に一致するが、それほど一致しない。どうなんだろうなあ、「相手を悦ばせること」を主目的というか主たる愉しみとしてあれをやる人を知っているが、そういうベクトルを持つ人はどんな分野にも居るのかもしれない。論を俟たないことが、どちらかの立場に優位性はない。
 それにしても、師走ですね。塩飽という名字の教諭をどうしても思い出す。今頃はどこで何をしていらっしゃるのだろう。今の俺の状態を知ればどう思うだろうか。そういえば桐野夏生「I'm sorry, mama」という小説を読んでいるが、すげー面白い。終わりまで面白さが詰まっていると確信に近い思いを抱いている。絲山秋子「逃亡くそたわけ」を思い出すテイストだ。小学生の頃は、先生は「先生」という人種であって、自分らプレーンな人間とは違う存在であると思っていた。先生の私生活などは想像しなかった。先生が授業中に、少年/少女の頃の話をしたり、最近あったことを話したりしてくれることはもちろんたくさんあったが、それでハッと気づくこともないまま、先生は先生として存在していると思っていた。この感覚をすぐさま一般化して、モンスターペアレンツ問題にまで発展させて言及することは容易だけど、そんなしょうもないことは措いて、今頃、俺が関わってきた先生はどうしているのだろう。亡くなっている人も居るかもしれない。さすがにまだ早いかな。むしろ、まだ俺のことを覚えている先生がどれだけ居るのかの方が気になる。高校時代の或る英語の先生は、俺の素行がかなり悪かったので(不良的にではなく、遅刻とかが目に見えて多かったという意味で)、相当、俺のことを覚えてるだろうなと勝手に思っていたんだけども、2年ぐらいして高校に行って高3の担任の先生に会った時、その英語の先生がたまたま職員室に居たので挨拶したら、覚えてなかったからな。えーと、うん、ああ、みたいなリアクションをしていたのは、逆に俺にとって印象的だった。まあ、人数が人数だもんなあ。一対多の関係をナメてはいけないというのは最近になって俺も深く実感しており理解に足る。その時は「マジすかーwww先生ww」みたいな返しをしていた覚えがあるけど、浅はかであった。そんなもんだよな。400人いんだもん。当時のうちの高校。持ち上がりとはいえ、2年も経ってりゃ、先生の意識もシフトし尽くしているに決まっている。事件でも起こせば別だけど、ただ遅刻が多かっただけのことだからな。頭の上に大便でもして差し上げたらさすがに覚えてるだろうけど、そんな覚えられ方をしてもしょうがない。いや、頭の上に大便をされた事件が原因で俺のことを忘れられない英語教師が日本に一人存在する事態に俺は消極的ながらも興味があるが、それはその状況が何のプロセスもなしに突如出現してもまあ構わないというレベルの話であって、実践的に俺が彼の頭の上にうんこをするための手続きをこなして排便しなければならないのであるから、現実味がない。したくない。うんこというものの実際は、切ってないたくあんのような形状なのであって、ソフトクリームのように綺麗な巻きグソではないのだから、肛門から出てきた大便が何の手助けも仲介もなしにそのまま頭の上にしっかりと乗せることは意外に難しいと思われるし、本人が協力的であるか、拘束するか、という場合でもなければ成功しない。髪型にもよるだろう。短髪で、髪の毛が天に向かって屹立しているのであれば、剣山のように刺さって具合がよろしい。毛が屋根の瓦のようになっていると、よほどバランスの取れた場所にするしかない。あるいはうんこの粘性によって髪の毛に付着することを期待するのみである。排便する際には、俺の精神的な状態も考慮しなければならないだろう。便意があっても、その機会が一度しかない不可逆的な舞台であるとすれば、萎縮してしまってうまくうんこできないかもしれない。あちらのスケジュールが過密であれば、ああ、今回はダメでしたね、次の場をセッティングしますが、二か月後の日曜日18時でどうでしょう、などとマネージャーに言われてしまうかもしれない。ああ、今思ったが、こんなことは起こらないので大丈夫だ。

I'm sorry, mama. (集英社文庫)

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逃亡くそたわけ (講談社文庫)

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