ラブライブ2期の感想

 ラブライブ2期の一挙放送を観た。1期は観てない。ニコニコでたまたま今日、2期の一挙放送をやっていたから観ただけだ。1期を観ないと分からないところだらけというか、1期を観た人へのファンサービスだよという話を聞いて微妙な気持ちになった。内容は、最後にほのかが屋上から降りようとするシーンだけちょっとよかったが、後はそうでもなかった。
 やっぱ「スクールアイドル」というものが広く認知され存在している世界線を、この現世界にうまく溶けこませなかったことが、俺の敗因だった。そうなると「スクールアイドル」を魔法のように捉えるしかないが、その歪みを修正するために、どこまでも魔法になってしまい、足場がなくなってしまった。
 具体的には、スクールアイドルというものは、学校の部活動としてアイドル活動をやるというものなのだが、そんなことをこの世の中でできるわけがない。アイドルが低年齢化しているにはしているが、それを部活動という形で、従来の部活動と併設する形で存在させるのは無理筋だろう。教育委員会や世論がそんなことを許すはずがない。それが、局所的に、1箇所でそんなことが起こっているのならば、わかる。学校の目をかいくぐり、あるいはたまたま見つからず、そういうアイドル志望の女の子がたまたま集まり、オーディションで出て、というようなことはありうるだろう。でも、これは、世の中のフォーマットとして「ラブライブ」というスクールアイドルのためのイベントがあり、それに地区大会、全国大会などがある。これを、自分が住む世界と接続するのは容易ではない。そんなアイドルの頂点に立とうというような魅力の持ち主は、ストーキングの被害に遭うこともあるだろう。学校の部活動としてやっているのだから、所属校は丸バレであり、後をつけるなりすれば住所も丸バレであろう。あまりにも学生として危険すぎる。しかもその部活動に所属している女の子は、みんなアイドルになりたくて、自給自足で、すべての仕事を自分たちでやるわけだ。作曲も作詞も衣装もマネージメントもすべて自分たちでやる。天才作曲家と天才服飾デザイナーがメンバーにいるのである。それはいいだろう。女子高生にして、そういう見目麗しい天才もいるかもしれない。しかしその特殊性が、地区大会が必要となるほどの規模で全国に点在し、活動していて、問題のひとつも起こっていないという世界は、想像が非常に難しい。その辺をすべて「魔法」だと考えて処理していくと、ラブライブの世界に出てくるヒトガタは、実は人間ではなく、よく似た別の感情体系を持った魔法生物である。というところまで敷衍してしまう。
 町中でスカウトにひっかかってアイドルなどになったり、自分や家族がオーディションに送ってその道をゆく、というのはわかる。自分の中にアイドル願望があったとしても、それをレールに乗せてくれるのは大人であり、プロであり、本人をその気にさせるように精神を仕向けるから、その過程で、自信過剰に振る舞ったりしても、よいだろう。それらは、アイドルマスターAKB48を理解することを可能にする足がかりである。しかし、自分たちでアイドルを希望してプロデュースまでして、練習も学校の屋上の打ちっぱなしコンクリートの上で手拍子で踊ったりしているさまは、異様である。端的に言って、それはイタすぎる。もちろん、それが全国的に当たり前のことになっているのであれば、その精神にも理解の余地がある。そういうのを許容する雰囲気が世間に漂っていたり、手段が広く知られていたりしているのであれば、女の子がそれを試みるのも理解できる。しかし、先述のように、そんな世の中は魔法でしか現世と接続できない。どうしても、魔法の向こうにある。
 書いていて思ったが、これはポケモンの世界によく似ている。どうやってマネタイズしているのかよくわからないポケモンセンターやらポケモンの設備、保護のやり方や法律との兼ね合いなどが一切の謎になったまま、ポケモンマスターを目指すあの世界も、先述した内容と同じ魔法の世界である。しかしあの世界は楽しめる。ポケモンを捕らえて育てて戦わせる、という環境のみを楽しめばよいからだ。他の部分は「まあギャグだよね」と笑って済ましたまま、ゲームに興じることができる。
 しかしこのラブライブという作品で興じるべきポイントは、主には、アイドルとして活動するキャラクターとその周辺の人物、歌と踊りであろう。アニメなどは、その物語を楽しむのである。物語を楽しむとなれば、そのキャラクターのパーソナリティに迫らざるを得ない。だがその中を覗きこんでみると、魔法である。これでは、何も分からない。SANチェックをするか、すべての接続を諦めるかの二択である。となると、ポケモンポケモンバトルにあたる部分は、歌と踊りである。アイドル活動を部活動然としてやっているという事柄は、自分の部活動経験やスポ根などの知識を切り貼りすればインストールできるので、そういう艱難辛苦があるのだろうなという想像はできる。その苦労をうっすら後光として射させながら、歌い踊るキャラクターたちを眺めると、なんとなく達成感というか、感動みたいなものは感じられるかもしれない。でも俺はラブライブの歌と踊りにはまらなかったので、このとおりインポである。
 このインポの原因が歳なのだとしたら悲しいことである。アプリオリな偏屈さのせいなら、全然いいのだが。