続・住居の契約更新

 先日書いた賃貸の連帯保証人の件は、残念ながらできないという返答であった。非常に残念だ。保証会社を介して契約しなくてはならないのは痛い。もちろんそれも痛いが、それ以上に、肉親を喪失したことが悲しい。これまで、親とはかろうじて弱い繋がりのもとにあったと思うのだが、断絶に至ってしまったような気がする。俺はその旨のメールを受けて、「分かりました。これまで保証していただいて、ありがとうございました。」と返答した。攻撃的な感情をできる限り引っ込めたギリギリの文である。もちろん、これでも慇懃無礼であり、向こうもさすがにそう受け取るだろう。しかし、完全に合理的プレイヤーとして振る舞うことは最善でないと判断した。もし合理的に返答するのであれば「そっかー、まあしょうがないよね。了解、ありがとう〜」ぐらいがベストだと思う。こちらが今回の対応を不満だと感じていることをアピールすることで、今後、向こうが交渉を持ちかけてきた時に、「前にそちらはこういう対応をしたよね。受けられません」と突っぱねることが容易になるカードを得ることもできるが、必須ではないし、何より、精神的な安定を得るために、ベストと思われる選択を外す必要があった。このベストの、向こうの印象のみを操作するために、こちらが感情を抜きにして振る舞うというのは、突き詰めると圧迫面接にも常に笑顔で対応する就活生の道を歩むことに繋がる。やはり完全にポーンとして行動することは難しい。ポーンとして可能な行動の一貫は、イデアである。完全な球体を想像することはできるが、この世には存在しないだろう。受肉し、人類としての基本的機能にしたがってパラ振りされている身としては、感情を排した合理的行動は、イデアである。俺も、こんなクソ長い文を書かざるを得ないぐらいには、感情的だ。
 それでも比較的、おだやかな文章にしたつもりだ。最初に打ち込んだ返答は「了解しました。その決断は、そちらからの信頼がないということだと思うので、今後、こういった類いの信頼関係は一切ないという前提で考えるようにしましょう。今までありがとうございました。」というような感じだった。心はもう完全に離れている。そりゃそうだろう。別に金をくれといっているわけではない。よく知らないが経済学的には(債務*俺が支払いをできないかしない可能性)ぐらいの金銭的損失に値するのかもしれん。が、それは要は(俺が支払いをできないかしない可能性)を0と信じていない、もしくは、それを嫌だと判断したということだ。もっといえば、(俺が支払いをできなかったかしなかった)が発生したとしても、その責任を負う気はないと表明したということだ。俺は一度、実家からの援助要請を断っている。そして最近になって仕事を辞めたことも言っている。それが効いたのだろう。しかし、仕事を辞めるのは、これから創業に参加するためだとも言った。それを知っていても、金をくれと言っているわけではない話でも蹴る。直接的な無心と同等にその責任は重いという考え方もあるだろう。無論、連帯保証人という立場は、金融であれば、借主と同等の債務を負うことも知っている。返済が滞納していなくても、連帯保証人へ先に請求してもよいほどだという。重い役割だ。ただ、それは他人との間のロジックだ。俺がリスクの塊である実家を見限らず、マジキチ親父に知られる覚悟を押しても連絡先を教えてきたのは、家族幸福量総和ロジックに基づいて母が行動していたからだ。家族の中で損得の総和が最小の選択をする。例えば、俺が面倒だからといって、本来もう一回り小さい梱包で済む荷物を、大きな梱包にして宅配便を送ると、余計な料金を払っていることを我がことのように惜しむ。ただのしみったれたケチな精神だが、その適用範囲が家族全体に及んでいるから、信頼があるし、それが適用されていることが分かりやすかった。だが、今回の話で、俺が忠実である限りは、連帯保証人を請けてくれた方が安上がりになるから、母なら確実に請けてくれるはずである。でもそうはならなかった。これは、2年前と違い、弟が実家の家計の中心になったという事情があるのは分かる。弟との協議の結果、その責任は取れないということになったのである。これまでのウチのロジックから、俺は外れたということである。そりゃあ、母としては、自分で責任を取れない債務を、家計を担う者に問い合わせるのは当然だ。だがそこには天秤があったはずだ。俺は信用に値しないという判断があったはずだ。俺が余計に約一ヶ月分の家賃を払うことになっても、しょうがないという判断だ。
 有り体に言えば、そんな階級になったことが確認できる共同体については、もはや所属するメリットよりもデメリットの方が大きく感じられた。地理的に離れていれば、どんな関係性も、希薄になるような重力をどうしても受ける。それがとうとう顕現化したという感触だ。一事をとって大げさであるとか、俺の判断があまりにも利己的で独善的であるとか、責任の過小評価だとか、様々な弁護が考えられる。が、それでもやはりこの事実は、俺があまり分析せず、アナログなままにしておいた、家族という関係性を、大きく損なうものであると考えざるを得ない。俺をして、そう思わせるような、見えない断絶があるように思う。残念だ。親について、軽い生前葬が行なわれているような気持ちだ。これが一過性の、通告の直後であるがゆえの、落ち着きを欠いた判断である可能性はある。だからこそ、返信の文面は、努めて平穏なものにしておいた。でも、これが覆る気は到底しない。プレイヤーとして徹するなら、このまま表面上は温和に対応し、実利に関わる案件はすべて実利を取るように対応する、という戦略を取るべきである。明確な断絶はむしろ相手を刺激するので損になる。そういう静かな訣別をしようかと考えている。必要なのは俺の決心だけである。たかが数万円ごときで大げさだと、直感的にも思うが、ではなぜ、こと家族との関係に比べて、その数万円が「大げさ」という表現になるのだろうか、と考えれば、無論、その関係が、それよりも重大な事柄だからだ。では、それは本当にそうなのか? という疑問に、俺は明確に、そうだ、と答える根拠を見失っているということだ。探しても、見つからないのだ。かろうじて、なんとなく、そういうもんだろう、人間として、というようなフレーズが去来するのみだ。もし、俺の家族の価値を支えるものが、そのフレーズで表されるものしかないのだったら、果たしてそれは、数万円より重要なのか? と思うに至ったのである。絶対的価値ではなく、相対的価値として。今後の判断が変容するかは、分からないが、今の心境としてはこんな感じだった。
 というような感じで、余計な思考リソースまでも使わされるわけだ。本当に恐ろしいだろう、貧乏は。裕福だったら、少なくともこの問題は起きなかったわけだぜ。