SHIROBAKO感想

 SHIROBAKOの一挙放送をニコニコ動画で観た。全24話、超長い。なので、ニコニコでも1〜12、13〜24話に分けての2日がかりの放送になった。面白いという話は前からTwitterなんかでかなり聞いていたので、まあ観てみるかっていう気持ちで、土日の夜を押さえていた。しかし舞台がアニメ制作の現場ということで、他のゲームとかマンガの制作現場を題材にした作品、エロゲの「らくえん」とか、漫画の「バクマン」とかみたいなノリだろうと思って、そんなに期待していなかった。それらの作品から、そこまでの感動を得た覚えがなかったため。それらは、まあ面白いは面白いけど、もう飲み切ったと思ってたコーラがまだ冷蔵庫に一本残ってたような、それくらいの快感は得られるが、「こんなうまいもの食ったことねえ!」というほどではない。というぐらいで、わざわざ時間を割こうかなっていう気は起こらないぐらいの前哨だった。
 ところが、まあ、蓋を開けて見れば、かなり面白かった。舞台の裏側を描くという題材でいいと思うところは、普段、それらマンガとかゲームとかアニメとかの、目にして享受する機会は多いけど、その裏側がどうなってんのかは知らない、知らないけど、全く知らないわけじゃない、ちょっとぐらいの知識はある、というしくみを、詳らかに種明かしされると、「へええ、そうなってんだ」という満たされ方をして気持ちいいところだ。アニメ制作、監督がどうの、しかも時期がちょうどよく、先日、アニメーターの給料が低いとか何とかいう記事がネット界隈で話題になったばっかりであり(もっとも、この記事はテレビ放映終了後のものだったはずだから、俺特有のタイミングだが)、もしこれがSHIROBAKOの影響によるところが多少でもあるのなら、大したものだと思う。然るべき団体が、前々から実施してた調査の結果発表だったはずだから、持ち上げられ方に関してブーストされたというべきかもしれんね。その辺はよく分からん。
 話が逸れたが、そういう裏側の関心を満たして、良い。ただ、それは前述した別作品でも満たしている。この作品特有のいいところは、アニメがとてもとても好きで、高校で同好会を作ってアニメ制作もしていたメンバーが、それを夢にして、仕事の世界でもそれを志し、業界に飛び込み、そのコミュニティを維持しつつ、それぞれ違う形で関わっていくところだ。制作進行、作画、シナリオ、声、3Dと、それぞれがそれぞれの分野の仕事に就き、種々の問題をクリアしたりしなかったりしていくさまは、それそのものが先述した裏側の関心を満たすものであるし、厳しさや目的と実態の齟齬に直面して懊悩するドラマになってる。RPGのパーティなら、制作進行が勇者のようなもので、その制作進行のあおいちゃんが中心に描かれる。その制作進行が所属するアニメ会社で、実際にどういうアニメの作り方をしているのか、それが作品の描写の大半で、それぞれ一目置かれる技術を持った職人らが、どういう関わり方をするのか、どういう矜持があって、技術的な留意点を披露したりし……まあ、そのルックスのよさとキャラの面白さと技術の底力の高さには、現実に比べて相当下駄を履かされて描かれているのは自明だが、それが目星初期値の人では自動成功しない程度の自明さなので、「現場とは違う!」と文句を言うアホ……いや、不満を持つ人もいるんだろうなあと想像しながらも、自明さを分かっている人には面白い話だったろう。後述する。
 原初の五人組、すなわち同好会のメンバーが、それぞれの仕事コミュニティでの関係性の中で生きながらも、時々、その五人だけで集まって、それぞれの夢を語る、というのが最高にいい。世の中は厳しいけど、仲間として情報を交換したり感情を共有したりして、励まし合って戦っていこうね、というコミュニティがとてつもなく美しいし、心強い。いいなあ、と思える。お互いの成功を祈るし、お互いの才能を信じている。談笑や相談や励まし合いはするけど、ある仲間が専門にしている事柄で悩んでいることが分かっても、自分は素人だということをわきまえているし、その仲間の才能を信じているから、具体的に立ち入って出しゃばることはせず、もっと外側から、精神的に包括するような支え方をする。安いドラマであれば、後悔するよりした方がどうのこうの、とか適当なことを恥ずかしげもなく言って、そうだね、とか謎の感銘を受けて頑張る、みたいな精神論ですべてのカタがついて興醒めになるところだ。いや、SHIROBAKOにもそういうのはあるんだが、相手への尊重があるためから、安くない。とてもいい。
 現場とは違うんだよ問題。SHIROBAKOで描かれた世界がフィクションであり誇張があり美化されている、というのは自明のことである。アニメ制作の現場があんな美人だらけのはずがないことは俺でも分かるし、あんなに現場現場が感動の連続であるとは思わん。でもあることはあるだろう。ある属性に属するものを切り取った時、それがその属性の世界的標準である必要はない。この「属性」とは、職種や人種、性別、立場、病気、障害、技能など、ある人間の集団から共通項として取り出せるどんな要素でも該当する。例えば、黒人を差別的な形で映画に登場させたり、日本では韓国人を極めて独善的な民族だと決めつけてあれこれ語ったりすることなどがこれに当てはまるのだが、もういい加減、フィクションの中に登場した属性に、世界的標準を求めるのは馬鹿馬鹿しい。要は、俺は現場のアニメーターなんだけど、アニメ制作現場(の世界的標準)ってこんなんじゃないよ、という語り口は、私は見識が狭いですと表明しているに等しい。そもそも、その人が言う世界的標準が世界的標準であるかは怪しい。自分が踏んだ現場の平均だろそれ? 同じ属性でも、もっと高度な現場あるよ? というケースは多い。俺はプログラマだが、世がいうIT土方のような働き方をする現場にはほとんど出くわしたことがない。あれほど喧伝される、プログラマ、SEは、ブラックで帰れなくて客や上司にへこへこして鬱病になる、というケースは、まあそういうのはあるだろうけど、そうでないところを知っているから、針小棒大に語るなあといつも思う。これももちろん俺の経験則に過ぎないが、そういう現場を選ぶことができるぐらいにそういう現場は存在するというのは、プログラマIT土方説にとって致命的な反例になることは確実だ。この経験を踏まえなくても、劣悪な環境しかないといわれる業界に、劣悪でない特定の環境が存在することは想像できるだろう。著名なフィクションの中に登場する属性に、その属性を代表されたと思うのは、見識が狭いと言わざるをえない。しかしそこをちゃんと踏まえて、大衆がそう受け取ってしまうからそういう発信はやめろ、という立場の人もいるだろう。それは、大衆を恨めと俺は言いたい。大衆を恨んでおいて、そういうコンテンツの発信に圧力をかけようとするべきではない。それらを理解した上では、そのコンテンツは、自分にとって楽しいかもしれないのだから。未来の楽しいコンテンツの芽をその圧力によって狩るべきではない。そして、その圧力によって芽を狩られたために出てこなかった過去のコンテンツの水子を悼むべきだ。ネットで野放図に無見識な能書きをたれて、圧力をかけることに加担する楽しみが、未来のコンテンツの期待値を上回ってしまうような感受性を恥じよう。
 ちなみに、この作品の世界も、見方によっては「魔法の世界(=我々の生きる現実と接続できない世界)」であり、ラブライブが魔法の世界であったことと区別できないかもしれないという考え方もあるかもしれない。俺はラブライブをけっこう評価しなかったが、なぜそこに峻別があるのかについて。それは、魔法の対象の問題だ。ラブライブでは、ラブライブという、スクールアイドルの全国大会がある。ということは、スクールアイドルという存在が社会的に容認されているということであり、それは、あのアニメを見る限りは日本全体が容認しているということである。それほどマクロに容認されるということは、人間の設計自体に細工を施す必要がある。一方、SHIROBAKOでは、あるアニメ会社(とその周辺の職人)が魔法の対象である。その魔法の内容も、登場キャラがみんな可愛いというところ、アニメの制作の進行のしかたが劇的すぎる、というようなところに限られていると俺は感じる。それは、何回か、何十回か、何百回かダイスロールしたらあるかもしれないし、何百社と会社があればそれはロールされるので、接続できる。思いついた例を挙げるなら、ひとつにはスーパーファミコンポピュラスというゲーム。このゲームは、神の視点で人類の住む世界に魔力で介入して人々の動向を操作するという主旨なのだが、一箇所の土地を上げたり下げたりするのは低い魔力でできるが、世界全体に天変地異を起こして地殻変動をおこなうのは、膨大な魔力を必要とする。もうひとつでは、まどかマギカでのまどかの願い。上条の腕を治すぐらいならさやかの魔力でもできるが、世界の因果律に干渉するには、まどかの魔力ぐらいないとできない。といっても、結局、その魔力の量は、結局、その世界を愛せるかどうかによって決まるので、ラブライブのキャラクターたちをもっと俺が愛することができれば、話は違ったのかもしれないし、SHIROBAKOのキャラクターたちを愛せなければ、ふ〜んぐらいで終わってると思うけども。
 SHIROBAKOのキャラとして最も好きなのは、やっぱり勇者ポジションのあおいちゃんだね。恐れを知らない真っ直ぐさ、アニメへの真摯な愛を感じられた。矢野さんもSっぽくていいキャラしてる。監督と本田のコンビも憎めない。平岡やタローには終始むかついていたが、まあ、説明されれば外道だとまでは思わなかった。ただし茶沢、てめーはダメだ。やっぱ編集者ってクソだわ。って思ってしまうのは分かるが、上記の属性問題のことを肝に銘じておこう。そうじゃない編集者がいるのも分かっとる。でもあいつ単体はカスでしたね。一番感動したのは、ずかちゃんが最後に声優として関わってきたところ。一発逆転だったな。あおいがスタジオで、ずかちゃんが演じてるのを見て泣いてたシーンは、俺も正直、目から汗が出た。あれは会心カタルシスだったな。
 とてもよいアニメでした。2期やれるタイプの作品だと思うので、ぜひやってほしい。