権威

 たかがゲームで、たかがゲーム実況で、たかがまとめで、金が稼げることを「ずるい」と感じるのは、単純に権威がないだけであり、その権威は、自然発生したものとマーケティングによって人為発生したものの区別は、表面的にはつかないもんだなあ。将棋やポーカーもたかがゲームだが、権威がある。将棋は棋譜、格ゲーもフレームごとに区切ればローグライクみたいなもんだから棋譜として書けるし、小説も文字の組み合わせで紡がれている。ならどれも無限の猿定理で再現可能なわけだが、その会心の組み合わせをなんかよく出してくるのがトッププレイヤーで、そのすごさを支えるのが権威。でもその権威には人々の感動が少なからず添えられないと、すぐに破綻する。また、実際にすごくなれる、つまり、ある特定の資質を備えた人物でないとその組み合わせを軽々には、あるいは有限時間内には繰り出せないという制約も必要で、例えばスロットや宝くじで引きがすごくても尊敬されない。まとめブログに権威が宿らない(叩かれる対象になる)のは、プレイヤーがそれぞれの損得に基づいて行動しているばかりで、権威を保とうとするプレイヤー、あるいはデザイナーが存在しないからだと思う。もちろんポーカーや将棋だって、PokerStarsなりカジノなり将棋連盟なり、そういう集権組織みたいなチューナーも、総体としては自らの立場に則って、より得になるように、プレイヤーじみて行動しているだけだと思うのだが、「そのロールを担っている」、いや、「そのロールを担うプレイヤーが存在する」というだけで、うまく権威を錬成する相互作用がはたらく。しかしまとめブログには、そういうロールを担うプレイヤーが自然発生しないし、しにくい。公務員がそれほどまでにいい目を見ていると思うなら、アンタも公務員になればいいじゃない、という論理と同じ構造で、まとめブログを作ることがそんなに楽して儲けてるだけなら、アンタもまとめブログを作ればいいじゃない。と言えるのに、なぜアナタは作らないの? 作らないんじゃなくて、作れないんだよね。ということは何らかの技能あるよね。というところで、まとめブログにも技能は必要であり、その結果金を稼いでいるわけで、偉大なる発明で金を稼ぐ偉人や企業と構造的には何も変わらないわけだが。という部分を時に人は「無視」する。この「無視」のされ具合が、権威を構成するといって差し支えないだろう。あなたは羽生善治のように将棋を指せない。あなたはまとめブログ作者のように記事をまとめて集客できない。この間にある受け取られ方の違いは、権威の存在に他ならない。と思う。何を言いたいわけではないが、なんかこの動画見てたらそんなことを思った。