管巻きバプテスマ。この深刻さをどうやって解決するのか。というのも、俺が青春のうちに設立したはずのこのブログが、酔っ払った時に書き込むだけのしょうむない空間と化している事実。こんなはずではなかった。かつての自分への贖罪。どれだけ落ちぶれても精神世界同然にこの世の中を扱えて、酒や麻薬などの力で自分の実存が揺るがされるなどと想像だにしなかった時代がありました。もっぱら、今は酒の力によってしか、この程度のまとまった文章を書けなくなっている、むしろ、書くモチベーションを維持できずにいる。どうだっていい。本当に、この管巻き、どうだっていい。まさに、「しょくざい」を入力するのにお前はどれだけかかったんだ? 手元がおぼつかなく、入力したいキーをひとつ入力するたびに、体感では、2回に1回のペースで、余計な衍字を繰り出している始末。入力の衝動と、入力の実現性、もしくは正確性、をトレードオフにして、俺はこのブログを書いている。情けないといえば情けない。脳に身体がついていかない。脳の陽気さが、身体を操って、その陽気さに任せて、いろいろなことをここに記述しようとしているが、その陽気さを産んだ脳はいいが、身体に対して、アルコールが為した所業は、かなりの手もとのおぼつかなさであり、このトレードオフは原始時代を彷彿する。なんでだ。平易な言葉で表現するなら、酔っぱらいでもしなければこれほどの長文を書く気はしないということだ。なぜか。むしろ、なぜ、昔は無償の長文をここに綴ったか。それは、パトスによるものである。パトスでのみ、衝き動かされる時代というものがあった。思いのままに行動し、それに殉じる覚悟を常に持っていた時代があった。ああ、タイプミスが著しい。キーボードで入力をおこなうことが必然である時代に生を受けたことが少し口惜しい。この機会の喪失に乗じて、より有用なことを言えればよかったのに。ノイズ。思いのままに行動し、それを公表し、安定していた時代があった。フェイズが変わったのだろうか。うーん、なんか前に提起したような気がする問題なので、この辺で終わっておく。酩酊状態にあっての入力が困難であることが、文量の現象に繋がったことはテクノロジーの敗北を予感する。特に諸君らに共有しない。