プログラミング必修化検討について

 小学生の段階でプログラミングが必修化することを検討とかなんとかいう話を聞いて、いろいろ考えてみると、他の数多の制度に比べて、思ったより一長一短あったので、驚いた。所得税が下がるとうれしいし、消費税が上がると悲しいし、介護士の給料が上がってもうれしくも悲しくもない、などと、ほとんどの決まり事は、俺の立場では損得がはっきりしているのだが、非天才的中堅プログラマである俺の立場では、メリットだと感じる点が想像より大きかった時や、デメリットだと感じるそれが同様だった時に、インパクトが大きいなと思った。


 例えば、プログラミングが必修化すれば、日本のプログラマの数は今より増えるだろう。それを職業にする、できる人が増えるのは間違いない。一方、プログラマを必要とする仕事の数は、プログラマがそうやって増えることとは独立……とまでは言わないがそんなに関係ない。むしろデバイスのヒットやブームの方が影響が大きい。ポーカーなどの競技では、レベルの高いプレイヤーにとって、人口が増えることは、ほぼプラスにしか働かない。賞金額は上がるだろうし、教えたりする相手も増える。しかし、それはプレイヤーという存在が、需要と供給を同時に満たすからだ。プログラマの場合は、プログラマが増えてもプログラミングの仕事の数が即座に増えるわけではない。供給過多になり、プログラマの価格が下がる。価格が下がるのは困る。需要が供給に対して割合で変化しないならば、自分の供給における相対的なレベルよりも、需要に対する相対的なレベルが問題になる。つまり、プログラマ募集が100枠あったとして、自分のプログラマ能力がちょうど平均だったとする。プログラマが世に10人しかいなければ、5位の自分は引っ張りだこで厚遇だろうが、200人もいたら、ギリギリ仕事があるくらい、1000人にまで増えてしまうと、もう相当レベルを上げないとまともな職はないほどになってしまう。Fランから北大ぐらいにまでハードルが上がるのだ。まあもちろん、特に必修ではなかった時にプログラミングに関心を持って取り組んでいるぐらいの素養はあったのだから、単純に無作為な人が市場に参入してきた場合にも、自分の相対位置がそのままであるとは考えにくいなどのことはあるが、大筋としては今言ったような状態に向かうだろう。日本の絵師市場は既にそうなっているように感じる。損だ。
 しかし、メリットがないわけもない。例えば、もしプログラマでなければ、プログラミングを必要とする分野の層が厚くなることはよいことだろう。発注するコストも下がるし、品質も上がる。もはやコンピュータを介したコンテンツやサービスの受益なしには過ごせない我々にとって、それはよいことに違いない。それに、プログラマであってもいいことはある。プログラマの数が増えれば、便利なフレームワークやモジュール、言語が発明される可能性は上がるだろう。もし、プログラマとしての相対的な位置に興味がなく、自分の作りたいソフトウェアをこの世に受肉させるためだけに用いたいだけの人にとっては、そうした状況は得でしかない。実装コストが下がるからだ。レベルの高い人の数が増えれば、自分が教われるような人の数も増えるだろう。単純に考えて、任意の人が自分よりすごい確率は(人間がプログラマである確率)×(自分の相対的位置%)になるが、この「人間がプログラマである確率」が上がれば、当然、自分よりすごい確率も上がる(もちろん、プログラマとして学べることがあるかどうかは、そんな数直線的な単一指標によって決まらないが)。俺は割とそういう場の盛り上がりを重視するタチなので、このメリットはなかなか無視できない。
 あとは、どちらともいえない話なのだが、小学校で必修化した程度で、そんなにプログラマの人数が増えるとも限らない、という予想もある。旧帝大の工学部出身の知り合いによると、同じ学部に進学した7、8割がたの学生は、"Hello, world."と出力するプログラムだけを書き残し、その方法を忘れながら巣立っていくそうだ。音楽の授業がおこなわれたからといって、演奏家や作曲家が世にあふれるわけでもないのと同様に、プログラミングと出会うべき人に出会う機会を増やすという役割を果たすだけかもしれない。その場合は、先述したメリットもデメリットも復活してくる。
 また「仮にそれでプログラマ人口が爆発したとしても、いま能力があって相対的上位をキープしていれば、IT土方量産デフレになど巻き込まれることなどない、巻き込まれてしまうやつなどハナからIT土方になる運命だったんだよ!」という論調はいかにもありそうだ。俺としては、世の中に「デキるやつ」「デキないやつ」という明確なボーダーはなく、何らかの単一の能力を見た時、それは概ね正規分布に近い連続的なものだと思うから、相対的レベルのどこに位置していようと影響はあると思うし、IT土方になる運命とか超越者は定めてないと思うし、デフレを食らうやつの生活を捨象してるのは主張として欠陥がありすぎると思う。
 このメリット・デメリットは、どっちも極端な形であらわれるかもしれないと思うと、ただごとじゃないなと思う。それほど教育って人間というか文化にとって影響が大きいと実感する。余談になるけど、俺が学生時代に使っていた国語の教科書には、エーミールってやつが出てくるヘルマン・ヘッセの小説「少年の日の思い出」が掲載されていたことがなかった。だから、エーミールってやつのおもしろエピソードとか、その人名についてさえも、ずいぶん長い間、耳にしたことさえなかった。それがある時、ニコ動で動画を見ていたら、すげー連呼されてて、ナツカシス、みたいなコメントがいっぱいあった。全然知らないのに、国語の教科書に載ってただけで、ドラえもんみてえな知名度してる。教育においてその帯域を占めたものって、すげえんだなと思った。しみじみ、教育の重要性を感じる。だから、教育に、それも義務教育にプログラミングが組み込まれるっていうのは、プログラマにとっては相当にインパクト大きいだろうなと思う。