酔い、顕示欲

 本気で変な酔い方をしてしまった。同じアルコール摂取量でも度数の高い酒を飲むと酔い方がおかしくなるので、とても経済的でない。ビールやチューハイのようなものをガバガバと飲まないと気持ちよく酔えないというのは不利だ。不公平だ。世の中というのは元々公平ではないのでそんなもんじゃないのかい? また世の中がどうとかいうスケールのでかい話になる。酒の酔い方ひとつからそんなことを想起していたらキリがないよ。
 それにしてもどうして芸能界とかああいう「すごい人(権威)と大衆」という形式の場っていうのは、こうギラギラしているのかしら。あの人がどうした、こうした、という情報に敏感で(あるかのように見え)、その磁場に居ない立場からニュートラルに見ると、バカバカしく思えるような振る舞いがひねもすよもすがら、繰り広げられているのでしょうか。「どうして」とか言っといて、分かってんだけどね。どの芸能人がどうしたこうした、あの携帯小説の作者は誰だ、キングコングM-1を取れなかったら離婚するのしないの、はん、まだるっこしい。松本人志がよく話に上らせる「オカンでさえ時に女の顔を覗かせる」理論じゃないけど、やっぱりみんな顕示欲みたいなものがあるんだね。権威に対して、あわよくば自分が取って代わろうとする気持ちが。それは本当に自分が権威になろうとする動きにのみ限定されるわけじゃなくて、単なる嫉妬として表出するのも含めてね。だから権威の失墜を望んだり、権威側の人物が失脚することなどに喜ぶんだね。倖田來未の羊水発言とかエリカ様の別に発言について人々が騒ぎ立てた動機の一部は、これだろ。くだらねー。